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香川まさひと
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32話 女と男

香川まさひと

本屋・表

ひかり「サキさん、このあと時間あります?話があるんだけど」
サキ「なんの話じゃろ?」
  ひかり、言った。
ひかり「……私、チーム辞めようかなって」
サキ「(ランナーズを見せ)え?だったらこれは?」
ひかり「私は……」
  考えるひかり、言い淀む。
  サキ、きっぱり言った。
サキ「辞めたいなら辞めればええだけのことじゃけど」
  ひかり、ドキンとした。
サキ「それとも、辞めるなって私に言って欲しいんじゃろうか」
  サキ、続ける。
サキ「ごめんなさい、まだひかりさんのことよく知らないから、なにを望んどるか  わからん」
ひかりの表情、変わった。
なぜかすがすがしいものになった。
ひかり「今の言葉ですっきりした」
サキ「え?」
おどおど悩む感じがなくなったひかりが言う。
ひかり「サキさんが困るのも当然じゃ、だって私自身なにを望んどるかわからんかった。」
ひかり、続ける。
ひかり「でも今のサキさんの言葉でわかった、だから夕飯つきあってもらいます」
サキ「え?だからの意味が分からん」
ひかり「つまり、宣戦布告じゃ!」

  ひかり、スマホで電話をする。
ひかり「もしもし、みずのさんですか」

『みずの』
  ……と美しい筆文字で書かれた小さな名前。
そこは由緒ある料亭。
大げさな感じはなく、むしろこじんまりとしてるが、それでも拒む感じはある。
サキ「ここ?」「すごく高いんじゃ?」
ひかり「(笑わず)めっちゃ高い。でも私が払います」
  ひかり、入って行く。
  玄関までのアプローチ。
手入れした庭。
サキ「こういうとこ知ってるんだ?仕事?お客さんに接待されたとか」
ひかり「(笑って)それは信用金庫では許されん」
サキ「でも一見さんお断りじゃ?まさか普通に使っとる?」
ひかり「サキさんはこういうところ一度は入って見たいと思わん?」
サキ「思うけど、でも」
  ひかり、立ち止まる。
ひかり「大学の恩師が私の就職祝いで一度連れて来てくれたの。さっきなぜか突然サキさんと行ってみたいと思った。躊躇したらダメだと思ってすぐ電話した」
  続ける。
ひかり「電話で先生の名前を出したら、あっさり、はいどうぞって」
続ける。
ひかり「悩むのはもう飽きた。ちょっと前までそういう人間じゃなかったし」
サキ、きっぱり言い切るひかりに気圧され
サキ「……」
  ひかり「こんばんは」と入って行く。

同・中(夜)
  8畳ほどの個室。
  落ちついた調度。
品の良い活け花。
静けさ。
ひかりとサキが向かい合って座る。
緊張感。
酒は清酒。
先付け終わり、椀もの。
サキ「静か」
ひかり「怖いくらい」
サキ、ひかり、お吸い物を手に取り
それぞれ、音をたてないように飲む……。
ひかり、椀を置いた。
ひかり「勉強とかって、静かなところでするより、適当にざわついとるところのほうがかえってはかどる」
サキ「そうそう」
ひかり「それって……音だけの世界に住む山崎さんもそうなんじゃろうか?」
サキ「……ひかりさんも今、彼のこと考えてたんだ」
ひかり「やっぱりサキさんも?」
  ひかり、言う。
ひかり「お兄さんの上杉さんはどうなんじゃろ?」
サキ「兄貴は生まれつきだから。事故で視覚をなくした山崎さんとは違うでしょう、それに兄貴は鈍感じゃし」
ひかり「山崎さんは繊細なんよね」
サキ「そう、繊細」
  そこへ中居が「失礼します」とお造りの盆を持って部屋へ入ってくる。
サキ、徳利をもって、ひかりに注ぐ。
ひかり「ありがとう」
受けて、ひかり、今度は徳利を持ち
サキに注いだ。
ひかり、くい!
サキ、くい!と
杯を空けた。
中居「(ほほ笑む)なんだかお侍さんの一騎打ちみたい」
  中居、準備をしながら
中居「失礼ですけど、おふたりともお若いのにさっぱりしてらっしゃるわ、男っぽいというか」
ひかり「彼女はそうかもしれないですね」
サキ「そんなことないですよ、私もひかりさんも女です、だから侍の一騎打ちじゃなくて女の闘いです」
中居「(冗談だと思って笑い)え?そうなんですか?」
ひかり「たしかに腹をくくった女は強い。強さってシンプルで単純でさっぱりしてるもの」
中居「(笑って)なるほど、ここに来られる広島の名士のじじいども、たいがいねちねちねっちょりです」
ふたり、笑った。
中居、「ちょっと言い過ぎました」と、お造りを差し出し
中居「ハモでございます、梅肉でさっぱりお召し上がりください」
ひかり、気づく。
ひかり「さっぱり?てことはこのハモも女じゃろうか」
  サキ、笑った。
  中居、部屋を出て行く。
  サキ、言った。
サキ「チームをやめると言うのは撤回ですね」
ひかり「はい。本屋に入るまでそんなこと思ってなかったのに」
サキ「私のせいですか」
ひかり「(きっぱり)いや、私のせいです」
  サキ、ひかりの杯に酒を注いだ。
顔を近づけ、そのまま聞いた。
サキ「つまりひかりさんも山崎さんが好きなんだ」
  ひかり、飲み干し
きっぱり言った。
ひかり「好きです」
  ひかり、続ける。
ひかり「でもふたりの関係を邪魔するつもりはありません、好きだからこそ伴走のチームとしてがんばるつもりです」
サキ「でもさっき戦線布告って」
ひかり「あれは自分に対して言ったんよ、弱い自分に」
  サキ、言った。
サキ「ごめんなさい。それってきれいごとに聞こえるけど。好きってそういうんじゃないと思う」
  ひかり、動じず言った。
ひかり「サキさんの好きは愛されることじゃろ?私の好きは愛することじゃ」

  ザーザー!!と
  どしゃぶりの雨が降る。
  そこは夜の原爆ドーム。

晴れた朝の原爆ドーム

夜の原爆ドーム
  浴衣姿の若いカップルが楽しそうに歩いている。

観光客でにぎわう原爆ドーム

工場跡の空き地
  この前のやり方と同じように
  杭と体にロープを繋ぎ、
山崎が走っている。
  ただ依然と違うのは円の外側(蹴飛ばさないように)に♪(音楽)が流れるラジオが置いてあること。
  山崎、ラジオのところに来た。
山崎「19」
実は、順平、但馬、サキ、ひかり(みんな走る格好してる)が、山崎には声をかけずに少し離れた場所でじっと見ていた。
  走る山崎。
  見つめる順平。
見つめる但馬。
走る山崎。
見つめるサキ。
見つめるひかり。
山崎、ラジオのところに来た。
山崎「20!」
山崎、止まった。
大きく息を吐く。
4人が同時に声をかける。
順平、但馬、サキ、ひかり「おつかれさま!」
山崎「わ!」
  と驚く。
山崎「お前らいつからいたんだよ!盲人バカにしやがって」
順平「そうじゃなくて、あまりに真剣だったから」
山崎「(笑い)ふふふ。嘘だよ、気付いてたよ。盲人力ついて来たからなあ、但馬さん、鼻息荒いし」
但馬「(驚き、鼻息荒く)ふー!」

  ロープを外し、水を飲み休憩する山崎。 
  取り囲むようにいるみんな。
但馬「(ラジオ手に)この前これ置いてなかったですよね」
山崎「うん、どれだけ走ったかわからなかったから。音があると、はい、何周目って数えられる」
  山崎、順平に言った。
山崎「順平、この一人ロープ練習方法ってどうなんだろうな?」
順平「ダメでしょう」
山崎「ダメ?」
順平「だって伴走者がこんなにいるんだよ、遠慮せずもっと頼みなよ」
山崎「まあそうなんだけど、みんな忙しいし、悪いかなって(※声どんどん小さくなる、あわせて活字も)」
  山崎、続ける。
山崎「本当いうと、ラジオ3つも潰しちゃったんだよね」
順平「どういうこと?」
山崎「うまく走ってるつもりでも、転んで潰しちゃうんだよね」
 
  そのときの山崎。
  転んでラジオの上に乗っかってしまう山崎。

  山崎笑う。
山崎「ラジオって固くて痛いぞ!それが二回もだよ!」
その様子を想像してた4人。
笑えない。
順平「(心の中)笑えない。笑えないよ、山崎さん」
  但馬が言った。
但馬「もう一個は?」
山崎「もう一個は雨が降ってきてダメにした」
ひかり「雨ってもしかしてあの晩?」
山崎「そう、すごい雨のときあったろ?」

  あの晩。サキとひかりが料亭を出る。
ひかり「うわあ、すごい雨じゃ」

山崎「ちゃんとビニールとか用意しといたんだけどさ」

  そのときの山崎。
  夜の暗闇のなか、ビニール袋に入れられたラジオが音量一杯で鳴ってる。
土砂降りのなか、ロープを縛った山崎がひとり走っている。
  雨を蹴散らし
  汗を蹴散らし
  走っている。
  ただただ走っている。

山崎「あの日の帰りはタクシー頼んであったけど、運ちゃんに怒られちゃったよ、シート濡らすなって、バカじゃないかって、はははは」
  だが今度も4人笑えない。
順平「(心の中)バカじゃない、山崎さんはバカじゃない」
順平、うれしくて言った。
順平「こんなバカな山崎さんのために、我々はますます一致団結しないといけません」「初のフルマラソンが二カ月後に迫っていますから」
みんな驚く。
山崎「(驚き)えー聞いてないよ!」
順平「今決めた」
  順平、サキに聞いた。 
順平「サキさん、お兄さんなんていう名前?」
サキ「哲郎(※ルビてつろう)です。おじいちゃんが賢明で知恵深い人になってほしいって」
順平「じゃあみなさんご一緒に、チーム山崎は絶対に上杉に勝つ!」
  みんなで言った。
  「打倒哲郎!」
(次の話へ)
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