カレーマン外伝 こだわりのカレーマン
「こだわりのカレーマン」
ネパールの家庭料理 ダルバート
「Gravy(グレビー)」 ●神田小川町
「インネパ店」という言葉がある。
ネパール人が経営するインド料理店の通称だ。
全国に2000店舗以上あり、インド人経営の店よりも多い。ネパール人は比較的安い賃金で真面目に働くということで、1970代頃からインド料理店で雇われることが多くなった。
90年代になるとそんな彼らが、次々に独立してインド料理店を始めたのが、インパネ店の起こりと言われている。
神田小川町の「Gravy(グレビー)」もインパネ店に分類されるが一味ちがう。
オーナーシェフPrajjesh・Oli(パラジェス・オリ)さんは、ネパールの首都カトマンズでシェフをしていたが日本で働く友人シェフに誘われて、12年前に来日。埼玉県蕨(わらび)市のインネパ店で働きはじめた。
「日本は安全で気候が良くて食べ物も美味しい。なにより人が優しい。来てよかった」
そうシャイな笑顔で語るオリさん。ネパール人の顔だちや体格は、インド人に比べて日本人に近いので、日本社会に溶け込みやすいとも聞く。なるほど、オリさんと話していると、その顔だちや人柄に親しみを覚える。どこか懐かしささえ感じた。
「日本人に本物のネパール料理を食べて欲しい」
蕨市の店で働くうちに、オリさんはそう思うようになった。日本人の好むインドカレーは身体に悪いと思っていた。メニューにネパール料理を加えたが、最初は敬遠された。
だが、何年も出し続けるうちにネパール料理がインド料理を上回っていったと言う。オリさんは、来日して10年後に独立。カレーの激戦区であるここ神田に店舗を構えた。
「ここはカレーの街、良いモノを出せば必ずわかってくれる」
そんな信念でチャレンジしたが。時は2021年、コロナ禍の真っ只中だった……
「ネパールの家庭料理、ダルバートです。ネパール人は日に2回、これを食べます」
そう言ってオリさんが出してくれたのが銀のワンプレートに乗ったダルバート。
ダールは豆スープ、バートは白飯のこと。このダールとバートが中心となり、他にはタルカリ(野菜のおかず)、アチャール(漬物)、サーグ(青菜の炒めもの)、それに肉や魚のカレーで構成されている。一汁三菜という言葉を連想する組み合わせだ。
「味つけはイースト・ネパールのママの味です。それを日本人にあわせて少しスパイスなどをやわらかくしています」
ダールの豆・スパイス・白飯は、ネパールから直輸入。野菜は日本の旬の物を使用している。野菜には新鮮さにこだわり、その日に使う野菜を朝に買う。野菜をスパイスの味で誤魔化してはいけないと言う。スパイスはインドに比べて種類・量共に少なめ。
「アーユルヴェーダ(古代インドの生命科学)を守っていない店が多い」
そうも主張するオリさん。豆とスパイスは、季節や天候に合わせて変えている。
ネパール料理は身体と健康に良いのだという。
オーナーシェフPrajjesh・Oli(パラジェス・オリ)さん
そのダルバートを食べた第一印象は「うん。フツーに旨い」。特に感激はなかった。
僕の好みは中年男性の典型、油ギトギト、塩分・醤油、多め。具体的にカレーでいえば町中華のカツカレー。あるいは、北インドの濃いバターチキンカレーにチーズナン。
アーユルヴェーダの教えからは、ほど遠い嗜好だ。
だが、二度目に食べた時に印象が大きく変わった。神田カレーグランプリで日に3食カレーを食べ歩いていた頃、胃が疲れていたのか、ふとダルバートを食べたくなり、食してみると「あ〜あ、美味しい!」と、しみじみ感じたのだ。
この実感が、ネパール料理のダルバートの正しい理解なのだろう。
グレビーがコロナ禍に開店しながら人気店として生き残れたのは、客層の85%が美容と健康に敏感な女性客だったからだ。当然、リピーターも多い。
「来年にはネパールの親を呼びたい。だから、もっと頑張ります!」
最後にオリさんはそう言ってシャイな笑みを浮かべた。
オリさんにふと感じた懐かしさ。ネパール人のこの昭和な感性が、案外、インネパ店繁栄の秘密なのかも知れない。
終わり
「Gravy(グレビー)」 神田小川町
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