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カレーマン外伝 こだわりのカレーマン

宮﨑 克
カレーマン外伝 こだわりのカレーマン

「こだわりのカレーマン」


 

アーユルヴェーダ 体が内から喜ぶスリランカ料理
●スパイシービストロ タップロボーン 神保町店

 

「歌舞伎を習いに日本に来たんですよ」

 

意外な一言から話しはじめたのは、スリランカ料理『タップロボーン』のオーナーであるカピラ・バンダラさん。自国スリランカでは、独自の演劇をしていたエンターテイナーだったという。来日のきっかけは、日本大使館の文化祭りに招待されて、歌舞伎に魅せられたからだった。

 

当時、新聞社の招きで新聞配達しながら留学できる制度あったので、来日を決意。

 

「来日した'93年3月23日は雪が舞っていました。忘れられない想い出です」

 

その翌年、東京に記録的な大雪が降った。朝3時起きで自転車で新聞配達をしていたカピラさんにとっては、非常に辛い雪だったという。だが、大学卒業まで続けたことが自信を生んだ。

 

「ボクの日本で一番の財産は、新聞配達をしたあの7年間です!」

 

新聞を配った東京北区田端、その下町で日本人の人情や心遣いを知ったという。
大学に通いながら、高校時代の恋人と結婚した。

 

『タップロボーン』の店主 カピラ・バンダラさん

 

「生まれたのはスリランカだが、父親になったのは日本。だから長女には小雪と名付けました」

 

母国での仕事は宝石商。スリランカはサファイアの産地として世界的に有名だった。
その仕事の縁でお坊さんと知り合い、葛飾区柴又帝釈天の花祭りに参加。仏教国であるスリランカでも同様の祭りがあるという。
その花祭りで、何かスリランカのものを出店してと言われて、カレーを出したら、お坊さんたちに喜ばれた。それが食に関わるきっかけになる。
やがて青山でスリランカ料理店をオープンした。

 

「まず文化を学んで食をはじめたから…」

 

出稼ぎで日本に来る他の外国の料理人とは違うという自負と自信があった。
しかし、最初はまったく繁盛しなかった。日本人は見知らぬものは食べないのだ。
散々、試行錯誤したあげく持参していた母のスパイスを、料理に使ったらヒット。
その後、ツイッターで日本のカレーマニアらと知り合い、人が人を呼び、有名な料理人が来店したり、ついにはテレビの料理番組に出演することにもなった。
カピラさんが人気者になれたのは、その真面目で人懐っこい人柄だけではない。背景にスリランカ5000年の歴史がある。

 

 

「アーユルヴェーダ」──サンスクリット語で生命科学の意味。インド・スリランカ発祥の最古の伝統医療が、カピラさんの心身に染み込んでいたからだ。
毎日の食事が健康な心身を作るというのがアーユルヴェーダの思想。それを料理で具現化してたカピラさんは流暢な日本語でそれを説明できる伝道師として、日本の知識人・マニアに受けたに違いない。
「アーユルヴェーダはお母さんの知恵袋。スリランカに根ざした生活スタイルです。
例えば、体が疲れていれば食べる物が偏ります。それを母親が見ていて、(健康を考え)次の料理を決めるんです」
なるほど。では、その料理を食べてみた。「アーユルヴェーダ・ラトゥキャクルワンプレート」うん、旨い! 一番人気の「ランプライス」。これも凄く旨い! 
ブリの頭を煮込んだ「フィッシュヘッドカレー」もコクがあって旨い! さすがに食べ過ぎたように思えたが、意外や意外、お腹にもたれない。

 

「ほら、体はウソをつかないでしょう?」

 

カピラさんが笑って説明してくれる。油を使っていない。赤い米は玄米、肉と思ったのは大豆ミート等。だから、体によく、消化もよいのだという。

 

「お客さんにありがとうと言われ笑顔を向けられる。こんなに良い商売はない。ボクの根っこはエンターテイナーだから、人に喜ばれるのが大好き! 最期に日本に骨を埋められたら最高の人生ですよ」
「骨を埋める」という古風な言い回しをするカピラさんの表情に、僕はどこか懐かしさを覚えた。仏壇に真摯に祈る祖父の横顔と重なったのだ。カピラさんの源は、凛として清貧だった昭和の祖父母と同じく仏教徒であることのようだ。

終わり

 

 

スパイシービストロ タップロボーン 神保町店

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