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週刊スピリッツ

2023.05.26

第三回スピリッツ新人王開催記念 浅野いにお氏インタビュー 前編

週刊スピリッツ

半期に一度、最前線で活躍する漫画家が審査員長となり、最も面白い投稿作を決定する「スピリッツ新人王」。第三回審査委員長は、『ソラニン』『おやすみプンプン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』など多数のヒット作を手掛け、現在では「ビッグコミックスペリオール」で『MUJINA INTO THE DEEP』を連載中の浅野いにお(あさの・いにお)氏。
前編となる本項では、浅野いにお氏の新人時代のエピソードや過去作を振り返りながら、連載を勝ち取るまでの心得や具体的な創作論に迫ります。

(インタビュー=ちゃんめい)

 

Q.漫画家を目指す方法として、主に編集部への持ち込みや新人賞に応募することが挙げられますが、浅野先生のデビューのきっかけは何だったのでしょうか。

僕の場合はちょっと変則的なんです。まず、初めて「スピリッツ」編集部へ持ち込みをしたのが高校生の頃。編集さんに作品を見てもらい、いったん預かってもらっていたのですが、ちょうどその編集さんの担当作家さんの原稿が間に合いそうにないと。それで減ページ分の代理原稿として、当時持ち込んだ『菊地それはちょっとやりすぎだ!!』が「週刊ビッグコミックスピリッツ増刊Manpuku!」にそのまま掲載されることになりました。ですので、新人賞の受賞経験などは特にない状態で誌面デビューを果たしました。

 ですが、その後に編集さんから「とにかく賞を獲ろう」と言われたんです。例えば、“〇〇賞を受賞した期待の新人デビュー!”とか、新人作家を売り出す時には何かしらの冠がないと掲載しづらいと。それで、その方が創刊に関わっていた「サンデーGX」の新人賞受賞を目指すことになりました。打ち合わせを重ね、新人賞用の読み切りを描いて……そうして完成した『宇宙からコンニチハ』が、第1回GX新人賞に入選しました。

 

Q.誌面デビューの経緯はもちろん、新人賞を目指すきっかけがイレギュラーでいらっしゃいますが、賞に応募するメリットはなんだと思いますか?

 新人賞に応募するのは、漫画家を目指す方法として昔ながらというか、一番わかりやすい流れですよね。ただこうして審査員長を務めておいてなんですが、僕の経験上、(雑誌に)載る時は載る……だから必ずしも新人賞を通る必要性はあまりないと感じています。例えば、今の時代なら、ネットで作品を発表し、それが出版社の目に留まりそのまま誌面デビューというケースだってあるかもしれませんし。

とはいえ、GX新人賞入選後に初連載『素晴らしい世界』がスタートしたので、賞への応募はすごく意味のあることだったと思います。けれど僕の場合、新人賞を獲るために作風をチューニングされたことがトラウマというか、ずっと心の中にしこりとして残っているんですよ。当時は編集さんから「浅野くんの漫画は若者がひたすら悩んでいるだけだから、作品に付加価値を付けるためにも、とにかく最後は一歩を踏み出すような前向きな話にしよう」と言われ続けていて。もちろん言っていることは理解しているのですが、当時は自分も若かったので“嘘をついてでも若者が一歩を踏み出す漫画を描け、そうでないと価値がないから”と言われているように感じてしまったんです。最終的に完成した漫画は自分の意図とは全く違うものになっていて、まるで賞を獲るために心を売ったみたいな気持ちが付き纏い続けている……だから、僕にとって新人賞は確かに意味のあることだったけれど、本当にこれで良かったのかな?と。決して両手を挙げて喜べるような思い出ではないんです。

 これが僕の作家としての初期体験なのですが、この経験はその後の作風や創作スタイルにもすごく影響しているんですよね。例えば、僕が露悪的な方向に走ってしまうのは、綺麗事を描いていたことに対する反発だったり。あとは、“担当編集に何も言わせない”というスタイルも、新人時代の経験からくるものだなと。とにかく全部自分でやるから、もう何も言わないでくれって。つまり、新人賞受賞から初連載に至るまでに自分が感じたことを反面教師にして、今の自分のスタイルが確立されたという感じです。だから、新人賞の投稿作として何を描くのか、そして担当編集がついた時にどんな打ち合わせをするのかは、良くも悪くも今後の作風のベクトルを決める要素になる。そういった意味で新人賞はとても重要だなと感じています。

 

Q.『素晴らしい世界』で初連載・初単行本化を果たしますが、そこに至るまでにしていたことや戦略などがありましたら教えてください。

 『素晴らしい世界』は、1つの長いストーリーではなくて、1話読み切りが連作になったものなんですよね。今も昔も、新人作家がいきなり短編集の単行本を出すことは難しく、だから担当編集からも「読み切りばかり描きたがるけど、それだと単行本出せないよ」と言われていました。それなら、全部『素晴らしい世界』というタイトルに統一して、1話に登場したモブキャラが次の話では主人公になるという形式でリンクさせていけば、読み切りではなく連作の連載になるなと。この構造なら単行本も出せますよねって僕が編集さんに提案したのが始まりでした。

 新人賞受賞後に連載へと繋げるには、担当編集が立てた企画を正確に描ける人、もしくは自分の個性や新しさみたいなものを武器に一点突破できる人など、そういった“強み”があった上でちゃんと“連載にはまるかどうか”だと思うんです。もちろん作家の性格や資質にもよりますし、担当編集が立てた企画通りに連載がスタートしたけど、当の本人はあまり乗り気じゃないケースとか本当に色々パターンはありますが。例えるなら大学みたいなものですよね。大学って勉強さえできれば入れるけど、そこで何を研究するのかはまた別の話じゃないですか。漫画家も同じで、受賞後の連載に至るまでの過程で“自分”というものが試される。そこが一番キツいところだなと思います。しかも、初連載である程度作風が固定化されてしまうじゃないですか。いわば初連載って自分の名刺を作っているようなものなので、一作目はすごく大事だなと。

Q.連載に向けてネームを作成される際、リテイクの回数によってボツにする、あるいは新しく作り直すなど何か基準はありましたか?

 ネームってそもそもの素材が駄目な場合は、もうどんなに修正しても無理だと考えていて。なので、新人の時は2〜3回リテイクが来たらこのジャンルは自分と相性が悪かったのだと思って、全く別ジャンルのネームを描くという作業をひたすら繰り返していました。例えば、当時はネームを描いたら数日後に打ち合わせをして、そこでもらったアドバイスを持ち帰り1週間後には修正版を再提出する……というサイクルを2回繰り返していたので、初回の打ち合わせから2週間後にはネームが第3稿になっているんです。そこからさらに直しがくるのであればそのネームはもうやらない、つまりボツにしていました。なので、ペース配分としては、大体1ヶ月スパンで新しいネームを描き続けていました。

 ギャグ、ホラー、不条理ギャグ……ボツになったネームが大量にあるのですが、この企画を絶対に通すぞと意気込んだり、最初から完璧を目指すのではなく、自分がこのジャンルを描いたらどうなるのか、担当編集からどんなリアクションをされるのか。そういった興味や好奇心でやっていましたね。そんな状態が2年間くらい続いて、ようやくモラトリアムもののネームで前向きなリアクションがもらえて、それが初連載『素晴らしい世界』へと繋がっていきました。

 

Q.その後、「ヤングサンデー」にて初めての週刊連載となる『ソラニン』がスタートしますが、月刊連載と週刊連載でストーリーの作り方を変えるなど、何か変化はありましたか?

 あまり変えていないです。『ソラニン』は初めてのストーリー漫画連載でしたが、全2巻しかないので、それ以前に描いていたような読み切りサイズのネームを2巻分に伸ばしたみたいなイメージです。大きな起承転結だけで見れば16ページくらいで収まる内容に、細かいエピソードを肉付けして2巻分にするみたいな。月刊も週刊も、まずは全体で大きな起承転結のストーリーがあって、その中に一話ごとの小さな起承転結が続いていて、最終的には1ページ単位で起承転結になっている……マトリョーシカみたいなイメージで作っていけば、だれずに緩急のある漫画が作れると僕は思っています。

 あと、起承転結を少しずらすことで新鮮味を出していく方法もあるのかなと。例えば、音楽だとイントロがあってAメロ、Bメロ、サビ、間奏、大サビへと続いていくじゃないですか。これも結局、起承転結がベースになっていますが、たまにサビから始まる音楽もありますよね。よりインパクトを与えるためにそうしているのだと思いますが、漫画も音楽と同じように、1ページ目にあえて起承転結の転を持ってきて“引き”にする。その次のページをめくったら数日前……みたいな感じで起を展開することもできますし、実際にそういう漫画もありますよね。

 漫画も音楽も、起承転結の形が馴染みがあるというか、読みやすい、聴きやすいから一番正しいものとされているのかもしれない。でもそれをあえて崩すというのもアリだし、作家のやりたいようにやれば良いと思うんです。ただ、それが通用するかと言ったらまた別問題なんですよね。僕も起承転結はちゃんと作るけれど、あえて結を描かないなどやりますが、そのあえてが読者に伝わらず、オチがないと怒られることもあります(笑)。世間一般的に、綺麗に起承転結する“読みやすいもの”の方が受け入れられやすいのかもしれませんが、それに準じてしまうと、あまりにもフォーマットが固定化されてしまって新しいものが生まれない。そこを崩してみてうまくいく時もあれば、理解されないこともある……こういった試行錯誤の積み重ねで、漫画の文化はゆっくりと進歩発展を繰り返していると思うんですよ。だから、今回のような新人賞でも“崩そう”みたいな気概や意図を感じる作品に出会うと、期待したくなります。

 

Q.『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下:デデデデ)では、現代の社会問題や世相を暗喩していると話題になりました。漫画で社会問題を描く際に意識していることや気をつけていることがありましたら教えてください。

 『デデデデ』の時は、描くのは“ネットで分かる情報まで”と決めていました。もちろん、実際に災害が起きた場所へ行き、取材をすることで見えてくるものもあると思うので、作家としてはそうすべきなのかもしれません。ですが、『デデデデ』に登場するキャラクターたちは、災害などの情報を“ネット越しで見ている現代人”という設定だったので、漫画のコンセプト的にあえて取材をしませんでした。反対に、災害や事件が起きた時、ネットやSNSではみんなこういう行動、発言をするんだなと……目についたものは片っ端から漫画に描いていきました。とはいえ、見たものをそのまま描くことはなく、自分の中で咀嚼して再構築しながら漫画の中に落とし込んでいきました。特に『デデデデ』は情報量が多い漫画だと思うのですが、そういう“情報過多”みたいなところもスマホ社会の今っぽいなと感じて、あえてやっていましたね。

 

▲(『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』1集より)

 

 漫画で社会問題を描くことに関しては、自分が歳を取ったんだなと感じているんです。これは、『ソラニン』を描き終わった時に思ったことですが、20代の葛藤みたいなものは20代が描けば良いと。歳を重ねた先にわざわざ昔を振り返って若造りしながら描くのも変だし、何より『ソラニン』の時とは別のテーマを見つけないと漫画を描き続けることはできないんじゃないかと思ったんです。『デデデデ』は、社会問題というか、例えば災害が起きた時に、災害そのものではなく、人がそれと対峙した時にどんな行動を取るのか。その行動への違和感を漫画で描きたいと思って出来上がった作品ですが、結果的に社会問題は自分と相性が良いということに気付きました。

 相性が良いというのは、僕も歳を重ねたからか、現実で起きている社会問題や政治問題に直面せざるを得ない状態になっていて、さらに今なら漫画の技術的にも説得力を持って描ける段階になってきたと。イメージとしては、社会問題をダイレクトに描くのではなく、ファンタジーに置き換えて少しマイルドにする感じがしっくりくる。逆に、最近は恋愛や若者の葛藤みたいな話は描かなくなりました。とはいえ、読みやすくするための潤滑油的な存在として恋愛を描くことはありますが、本当に描きたいのはそこではない。今の自分は、社会問題がベースじゃないと描けなくなっているなと思いますし、もちろん社会問題だけではなくて時事問題もどんどん取り入れます。何よりそうすることでネタ切れしなくなったんですよ。今までは、自分の恋愛経験や将来への不安を漫画にぶつけていましたが、それでは歳を重ねるごとにどんどん枯渇していく。でも、社会問題や時事は永遠に起こり続けているので、そこを情報源にしていけばネタが尽きることはありません。今の自分のアイディアの源泉となっていますね。

 

Q.『デデデデ』では過去の作品とは違い、名前はもちろんビジュアルにおいても、キャラクターの個性が立っているように感じました。キャラクターの作り方においても、何か心境の変化があったのでしょうか。

 『ソラニン』の時まではなるべく親近感が湧くように、主人公は凡人というか、読者に限りなく近い“普通の人”にしようと思って描いていました。けれど、『おやすみプンプン』で少年が大人になるまでという大河ドラマくらいのスケール感で漫画を描くとなった時、従来のキャラクター設計に限界を感じたんです。普通の人ってなんだろうって。もしも主人公が女性だったら、可愛く描くことでなんとか振り切れたのかもしれませんが、それなら男のカッコ良さってなんだ?と。漫画でいうところのイケメンみたいなキャラクターにしてしまったらイケメンの人生になってしまうし、不細工もまた然りで。もう訳が分からなくなってしまったんですよ。もはや読者に想像してもらうしかないと思って、結局鳥のアイコンを被せることでキャラクターの顔は描かない……という方法に落ち着きました。プンプンはいつもは普通の男の子だけれど、内心ではすごく過激なことを考えているキャラクター。今となっては、あの鳥のアイコンを仮面にしているからこそ、そのギャップを描けたみたいなところがあります。でも、『おやすみプンプン』は漫画でありながら、漫画であることを捨てたから表現の幅を獲得した作品だと思っているので、キャラクターに関しても超特例だったなと感じています。

 一方で、『デデデデ』を始める時は、最初から“キャラっぽいキャラクター”を主人公にしようと思っていました。やっぱり長い目で見た時に“持ちキャラ”がないと漫画家として仕事しづらいなと……。キャラっぽいキャラクターでいうと、例えばおんたん。彼女はツインテールの髪型が特徴的ですが、実は自分の中ではツインテールって現実離れし過ぎていると感じていたので、それまではあまり描かなかったんですよね。でも、ツインテールのおんたんをメインキャラクターに据えることで、パッと見で“キャラっぽい”とわかる見た目に調整していったという感じです。

 

▲(『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』1集より)

 

 あと、僕の漫画は群像劇っぽい感じになるので、登場キャラクターがとにかく多いんですよね。でも、ちゃんと見分けがつくように、メインキャラクター女の子たちは鼻ひとつ取っても全員違う描き方をしています。カリカチュアライズ(戯画化)というか、特徴をつけた似顔絵みたいな描き方をすることで、キャラクターたちの視認性を高めていきました。ただ、中身に関しては割とみんな普通。時には突飛なことを言わせたり、少しわざとらしくしていたところもありますが、みんな現実の中にいてもおかしくない性格だと思って描いていましたね。

 

Q.『デデデデ』といえば、以前インタビューで門出のことを“おんたんがいるからこそ成立する主人公”と表現されていました。浅野先生にとって主人公とはどのような存在なのでしょうか。

 主人公の存在意義は結構あやふやかもしれません。例えば少年誌だと基本的にずっと主人公がフォーカスされるじゃないですか。でも、僕の場合は青年誌で、かつ群像劇を描いているので、主人公は一応存在するものの、主人公不在のエピソードもある……それでも物語が成立するような描き方をずっとしてきたんですよね。『ソラニン』を描いている時が、それが一番顕著だったなと。だって、連載当時は編集部員から『ソラニン』の主人公は種田だと思われていたんですよ(笑)。掲載誌が「ヤングサンデー」だったので、青年誌でバンドもの……ときたら主人公は種田だろうって。だから、人によっては彼が死んだときに“主人公が死んだ”と感じるのかもしれません。僕自身は種田が主人公だと言ったことはもちろん、思ったこともないけれど、仮に彼が主人公だったとして。物語の全体の1/3くらいのところで主人公が死んで、残りは主人公が一切登場しない……こういう展開も群像劇なら全然アリというか可能なんですよね。だから、群像劇において主人公という存在はあまり重要ではないのかもしれないと思っています。

 もちろん、長きに渡る漫画の歴史の中で、“主人公はこうあるべきだ”みたいに確立されてきた何かはあるのかもしれません。けれど、一度漫画を全部解体して再構築してみた結果、僕にとって主人公はあまり意味がないという結論に落ち着きました。『デデデデ』に関しては、先ほど話した通り“持ちキャラ”として可愛い女の子が欲しいという気持ちがあったから、まずはおんたんが生まれて。そこから、彼女の相棒的存在を考えた時に、おんたんがロングヘアなので、逆算的にショートカットで眼鏡をかけさせて……みたいに、ぱっと見で見分けがつくように考えていきました。

 

Q.中川凰蘭(おんたん)、小山門出(かどで)など、『デデデデ』はキャラクターの名前もすごくキャッチーでした。名付けに関して何か意識されていることはありますか?

 ネーミングって本当にセンスなので難しいなと思います。僕自身はあまり固有名詞を考えたくないタイプなので、新人の時に描いた作品は名前が付いていないキャラクターがたくさんいるんです。それこそ『素晴らしい世界』はほぼ全員名前がないですし。当時はそれがイケてると思っていましたが、やっぱり名前を付けないと色々と不都合が出てくるんですよね。その後は、『おやすみプンプン』の田中愛子みたいに、世の中で一番多い名字と名前を組み合わせるという方法で名付けていたこともありましたが、それも段々と尽きてくるんです。

 『デデデデ』は、単行本でも種明かししましたが『ドラえもん』のアナグラムになっているので。例えば門出の父親・小山ノブオは初代ドラえもん声優の大山のぶ代さんからきていますし、実は全キャラクターが藤子・F・不二雄キャラのもじりなんですよ。という感じで、最近は何か別の理由があって名前を付けるという方法でやっています。また、作中では“おんたん”などあだ名呼びになっていますが、これによってキャラクター同士の距離感も表現できるし、キャラクター自体も認識しやすくなるんですよね。例えば、松本大洋さんの『ピンポン』も、それぞれのキャラクターにちゃんと名前はあるけど作中では“アクマ”や“ドラゴン”とか、あだ名で呼び合っているじゃないですか。もちろん、あえてずっとフルネームとか堅苦しく名字で呼ぶという方法もありますが……ネーミング一つとっても作家の意図が反映されるものだと思っています。

Q.第三回スピリッツ新人王の候補作品は、モノローグを使った作品が多い印象を受けました。浅野先生も作中でよくモノローグを使われていますが、どのようにしてその表現方法を確立していったのでしょうか。

 モノローグは、岡崎京子さんに影響されて新人時代からよく使っていました。岡崎京子さんのモノローグって、モノローグ用の四角いボックスの中に入れるのではなく、真っ黒いコマに描くんですよ。それがすごくカッコくて自分も初期の頃によくやっていました。あと、モノローグを挟んだ時の読み心地がすごく好きだったんですよね。絵とセリフの間に詩みたいなものが挟まっているリズム感が好きで、自分もそういうものを描きたいと思っていました。けれど、新人時代の担当編集から「モノローグというのは、基本的に漫画を描くのが下手な人がやることだ」と言われてしまって。正直そうだなと思いましたし、やっぱり人によっては長ったらしい文章を読みたくないとか、リズム感が苦手な方もいるんですよね。

 だから、自分の中ではモノローグを使うルールを設けているんです。絶対にやってはいけないのは、例えば1ページ目で「俺は〇〇、どこにでもいるような普通の高校生だ」みたいに、モノローグを説明に使ってしまうこと。説明に関しては、モノローグ以外にも会話とか他の方法がいくらでもあるので。一方で、モノローグでしか表現できない感情みたいなものを描きたいなら全然良いと思うんです。でも、それも多用し過ぎてしまうとうざったくなる……。なので、モノローグは大事なところだけに絞るというのが一番効果的だなと。

 振り返ると、僕の初期の頃のモノローグって歌詞に近いんです。モノローグは作品の全体像を補完するためのもので、ここからイメージを広げてください……みたいな意味合いで描いていました。ただ、自分の中でモノローグを描くということが癖になってしまって、やめられなくなってしまったんですよ。だから、それを逆手に取るというかモノローグにもっと必然性を持たせたくて『おやすみプンプン』ではプンプンがあまり喋らないんです。つまり、モノローグがないと説明ができない。そして、本作においてモノローグは、実はプンプンではなくて“別の語り部”がプンプンの言葉を代弁しているというスタイルで進んでいくんです。「プンプンは〇〇でした」みたいな語りが永遠に繰り返される……変わったフォーマットではありますが、これは『おやすみプンプン』の世界観や雰囲気を出すために一役買ったと思うので、意味のあることだったと感じています。

 

▲(『おやすみプンプン』1集より)

 

 新人の時は、アイディアを捨てるということがまだできない状態。だから、思いついたことを全部描いてしまうと思うんです。セリフでは描ききれない部分をモノローグに託してしまうとか……気持ちはすごくわかりますが、もっと取捨選択した方が良いんですよね。必要なものを最小限にするのは、漫画のネームを作る上でも一番重要なことなので。その上で、どうしてもモノローグを描くのなら、それ自体が作家の作風になっていないと駄目なんです。例えば、モノローグの文章を読んだだけでその人(作家)だと分かる、それくらいまで推敲ができているなら使っても良いと思います。

(後編につづく)

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