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週刊スピリッツ

2013.11.17

Over 30 から始めてプロになれる漫画練習法~41歳でスピリッツデビューした大阪の主婦が秘訣を語る~

週刊スピリッツ

11月11日発売のスピリッツ50号で、見事に初登場を果たした新人漫画家がいる。その新人が他とは違うのはたった一点だけ、"30すぎてから漫画を描き始めた現在41歳の主婦である"、ということ! GAGフェスタ第2弾の目玉作『のすたるちくたく』を、味わってから読むか、読んでから味わうか。肉声スペシャルインタビューがここに登場!






(聞き手 すけたけしん)




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人生初単行本『女子のてにをは』も11月末発売!!





自分の結婚した年齢を間違えてました!!






――41歳でスピリッツデビューした大阪の主婦、るなツーさん、こんにちは。本日はインタビューをよろしくお願いします。




はい、よろしくお願いします。あの、さっそく、訂正を......お願いしたいのですが。




――はい、なんでしょうか。




前のコミスンの記事(http://comic-soon.shogakukan.co.jp/blog/news/1030/)で、「30歳で結婚」となってるのですが、結婚したのは28歳でした。




――え!! ......ええ!? 自分の結婚した年齢を間違えましたか?




だいたい30くらいの時やったなあと思っていたんですが(笑)。




――だいたい、て!?




すみません、ぼや~っとしているもんで。




――るなツーさんは、かなりぼや~っとしている主婦、ということがまずわかりました。




記事を読んだ旦那に指摘されて気づきました。訂正です!




――もちろんです。そこは今後とも、しっかりと覚えておいたほうがいいと思います。その「結婚」が今回のスピリッツデビューの大きな第一歩だったとうかがいました。そのあたりの話から始めてみましょう。





結婚を機に31歳で絵を描き始めた!!






主人がパソコンで絵を描きたいと思っていた人だったんです。ですので、そういうソフト一式が新居にあったことが大きかった。そういう人と結婚したことで、偶然にもそういう環境が目の前に現れた、ということですか。




――具体的には当時(2000年頃)はどんな環境でしたか。




パソコンのパの字もわからない当時の私は、その機材がすごいと崇めていたんですけど......今考えれば、マシンは、主人が友人から譲り受けたNECの9821シリーズと、Photoshopの古いバージョンのヤツやったんです。それと中古のペンタブレットがありました。マシンスペックが低いので、動かすのがめっちゃ重いし、Photoshopは全然わからへんしで、ね。だって、結婚するまでは、パソコン触ったことがなかったですし。未知の箱ですからね。




――その"未知の箱"で、絵を描き始めたきっかけはなんですか。好奇心?




主人が「おまえなあ、専業主婦で一日家にいてダラダラしているんだったら、絵でも描きなよ」と言ってくれたことですね。ほんなら、描いてみようかなあ、と。ペンタブレット、めっちゃ描きにくいやん、なにコレ!って。それが、結婚3年目、31歳の時。2003年ですか。ちょっとずつ、CGのお絵描きを始めました。モニターを見ながらタブレットに直描き(じかがき)していたんですけど、なかなか慣れへんし。パソコンがすぐフリーズするので、再起動ばっかりしてて。ほんま私、リセットボタン、何回押したかわからへんですよ(笑)。




――(笑)いいところでプツン、と止まって。




そうなんですよ~。腹立つねんこれが(笑)




――それはやりづらいですねえ。絵はどんな絵を描こうとしていたんです?




かわいい女の子を描ければ満足なんです。その頃も今も変わらないんですよ。仕事から帰ってきた主人が「どうや、描けたか?」と聞いてくれるんですけど、全然進まなくて。「スキャナで線画を取り込んで、色だけパソコンで塗ってみれば?」とアドバイスをくれました。




――お、次の作戦を授かりました。




ええ。そういうことで、彩色をやってみるんだけれど、自分で塗りたい感じに全然ならへんのです。「いやっ、こんなんよう使わんわ。描きにくいっ!!!」とやめました。




――やめた? たしかに使いこなせない機械ほど頭にくるものはないですけれど(笑)。やめたんですか?




そうそう。音を上げたんです。





まぐれでクラウド時代を先取り!!






でも、そのパソコン、ネットにつながっていたので、ネット上にある、いろんなイラストを見るのは好きやったんですよ。上手に描いてはるわ~思いながら見てました。そしたら、主人に「『お絵描き掲示板』というものがあるよ」と教えてもらったんです。当時は、「お絵描きBBSやら「しぃペインター」やらというのがありまして、現在隆盛を誇っているpixiv(イラスト投稿巨大SNS)誕生以前の話になるんですけど、そのサイトにいけば、いろんな絵が貼られている掲示板サイトですが、簡易のお絵描きソフトも脇に置いてあったんです。




――そのサイトのブラウザ上で絵を描けるということですか。




そうなんです。小さい画角だけど、サクサク描けるんです。お、これや!と思って。ペンタブレットで描きまくって。ようやく描く段階に進めたんですね。それが2004~05年ごろのお話。やっぱり、サクサク描けるのは本当に大切ですよね(笑)。なんや、ソフトなんかいらんやん、ここで描けばええんやわ、というのは画期的でした。お絵かき掲示板サイトでは、各サイトに設置してあるブラウザでも描けるんですけど、レンタルして自分用のお絵かき掲示板というのを持つ事ができるんです。私は当初、レンタルしてきたお絵かき掲示板を非公開にして自宅でこそこそ描いていました。




――ネット回線も早く太くなっていきましたしね。今聞くと、のちのクラウドの時代を先取りしているふうにも思えますね。




ああ、そうですね。ちなみに、サイトを始めたのが2004年秋くらい、お絵かき掲示板を通じた交流が広がりだしたのは2005年くらいです。私にとってよかったのは、同じ道具を使う人たちが一堂に会していることでした。限られた画角と限られたスペックやのに、人によって、ほんまに様々な絵ができるんですよ。「こんな絵が描けるんや~」と思って、私も描きたい、習得したら描けるはず、と思って。そういう刺激を受けたのが大きかったです。あとは、他人に見てもらうには勇気がいるなあ、ということも初めて考えましたね。私は自分の絵を描くのは描くんやけど、投稿ボタンなんかよう押さんわー、って(笑)。




――ご主人が唯一のお客さんですね。




「こんなん描いてん。見て~」ってゆうてました。




――なんかええ夫婦ですなあ(笑)。初めてご主人以外に見せたのは?




2005年に自分のホームページを作って、そこでアップした時かな。当時は今みたいにツイッターやらFacebookみたいなSNSではなくて、掲示板サイトと自分のホームページがインターネット上のコミュニケーションの主流やったと思います。お絵描き掲示板は、絵をアップしなくても、感想をカキコしたり、そこで交流が生まれて。私にもネット上の知り合い......のちには出会って一緒に合同誌を出したりすることになるんですけど......ができたりしました。




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(たぶん)初めてお絵かき掲示板を使用して描いたイラスト。まだ一般公開はしておらず、ご主人にだけ見せていた。掲示板に残された日付によると、2004年の2月18日の作品とのこと。所要時間は1時間半。






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初めてお絵かき掲示板で一般の方にも公開したイラスト。
上記の頭巾の女の子の絵から約半年後、2004年9月27日の作品。






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一般公開第2号。手の形がまだ結構怪しい!?







1日5~6時間は絵を描いていた!!






――その頃のるなツーさんは、例えばどんな一日を送っていましたか?




朝起きて、朝ご飯とお弁当を作って、主人を仕事に送り出して、私はちょっと昼寝をして(笑)。それから毎日5~6時間は絵を描いている感じ。主人が夜寝てからも、まだ描き足りないなあと起き出したり。そして、お絵かき掲示板のお知り合いと時間が合えば夜な夜なお絵かきチャットをしたりして(笑)。でも自分で描いてもなかなか投稿ボタンは押せない、みたいな感じでしたかね。




――初めてネット上にアップした絵はどんな絵ですか?




最初の2枚は女の子と果物を描いた絵でした。3枚目以降から乳尻度が無闇に高まっていきます(笑)




――その後は、絵画用のソフトは導入されるんですか? Photoshopは?




2007年に、「ペイントツールSAIに出会いました。お絵かき繋がりの知り合いの間で評判が良くて、私も試しに使ってみたのですが、これは、私に合いました。Photoshopより使いやすかったのを覚えてます。本格的に使える!と思った初めてのソフトで、それから今まで、ずっとSAIを使っています。ともあれ、これで本腰が入った。描く量が飛躍的に増えました。やっぱり、自分に合ったソフトに出会うことは重要です。そやからね、考えてみたら、パソコン操作に慣れるのにここまで、かれこれ何年? 丸々4年もかかってるんですね、私は(笑)。なにやっててんやろ(笑)。





長い漫画を描けない人はショートショートを描いてイベントに出てみよう!!






――ようやく、ホッとしました、お話をうかがっている僕が。よかったわ、描く体勢が整って。るなツーさんの話は、考えてみると、イラスト系パソコン環境の進化の歴史でもありますよね。その点も興味深いですけど。では2007年(当時35歳)から次の展開は?




はい、新展開です(笑)。お絵描きチャットの仲間たちと、合同誌を作って冬コミに出そうということになります。これがまた大きな弾みになった出来事でした。




――というと?




それまではイラストを描くだけだったんですが、この時初めて3ページのショートショートをコマを割って描きました。実は私、それまでにページ数多めのストーリー漫画を描こうとして2回ほど挫折しているんですよ。やっぱり、イラストを描くのと、コマ割りやストーリーまで考えて漫画を描くのとではかなり違うじゃないですか。そんな私でも3ページのショートショートなら挫折せずに描けた。それでとりあえずイベントに出て、そうすると、ああいうところに来るお客さんって、イラストもそうですけどやっぱり漫画を求めてらっしゃるじゃないですか。それで、またがんばって漫画を描こうという気持ちになりました。




――うれしかったですか。




うれしかったということもそうなんですけれど、本を作るまねごとをしたことで、大きな経験になっているのは......、"知らない人に手に取ってもらう前提"で、漫画を描くというのは、イコール、「しめきり」というものが、生まれることだったんです。




――おお、35歳で新たな概念「しめきり」の誕生ですね(笑)。




即売会に出すとなると、この日には完成させなあかん、昼寝してる場合じゃない、ということを知ったわけです。「ナニが何でも間に合わせる!」。毎年、逆算がうまくなっていくというね。「しめきり」があると、描く量がまた飛躍的に増えました




――一日々逆算がうまくなるっていいですね。そういえば、るなツーさんのお話には、一貫して量を描く話が登場しますが、量は大事ですか?




大事だと思います。やっぱりたくさん描かないとうまくならないです。量は多いほうがいいです。イメージが形になるのが面白いですし、「こういうのが描けた~♪」と描き切ると、「次はこうしよう」「ここはうまく行ったけど、ここは失敗」と意欲が湧いてくるんです。あとは、絵を見てくれる人がそばにいることはすごく重要ですね。主人が「これはかわいい」「ここはこうしたほうがいい」と感想を言ってくれたことは大きかったです。よぉ~し、と思いますから。合同誌をやっていた3年間はその時々の締め切りに追われていましたが、毎日7~8時間は描いていたと思います。




――ひとりブートキャンプですね(笑)。




そうですかねえ(笑)。





ようやくpixivに出会った!!






そのうち、イラストは「SAI」で、漫画は「ComicStudio Pro4.0で、と使うソフトを分けるようになりました。そんなこんなで、2007年からpixivを始めます。いまは400万くらいアカウント数があるそうですけど、私の会員番号は12000です。




――あ、ずいぶん前の方ですね。るなツーさんにとっては、pixivの登場はなにが画期的でしたか?




それまでよりも、容量が大きくて、大きい画像をそのまま載せられたし、見られたことですね。今でも時間が許す限りpixivを見ているくらい、見てるだけで楽しくて(笑)。これだけ描ける人がいるんや~というのが励みになった。自分も頑張らな、と思って。始めた当初は、私もお絵描き掲示板にあげていたイラストなどをいくつかあげていきました。




――他人の絵を見るのは大切ですか?




大切だと思います。絵の上達・勉強に関しては、量はもちろん大事ですけども、他の人の作品をたくさん"見る"という事も同じくらい大事だと思います。私、3年前から絵画教室に通っているんですけど、描くことと見ることと、ほとんど同じくらい比重を置いて教えていただいてました。




――なるほど。




目を養う、鍛える事が大事と言いますか。他の人の絵と比較して初めて分かったり、見えてきたりすることもたくさんあるので。絵画教室での指導はファインアートでの話になりますが、見る目を養う、鍛えるというのはイラストや漫画でも一緒だと思います。




――量をこなしているのにイマイチ上手くならない、という人は、他人の絵をキチンと観察できているかどうかを一度考えてみたほうがいい?




 そうですね。お絵かき掲示板からpixivに代わって、個人的に飛躍的に増えたのが「描く量」よりもむしろ「見る量」でしたから。




――そして2010年頃からは、先ほどお話に出た絵画教室に通い始めたとか。




そうなんです。それまで自己流でやっていたんですけど、漫画を描くようになると、背景やら、景色やら、世界やら、これまで描いてこなかったものも描かなきゃならなくなったんですよ。それで、一回はちゃんと習っておいたほうがええなぁと気づきまして。お絵描き掲示板の仲間に先生を紹介してもらって、デッサンを習いました。
?
――そういえば、こういう言い方は失礼かもしれませんが、るなツーさんは世間一般のカテゴリーでは中年女性といっても過言ではないのに、絵や線にそういった感じがまったく出ませんよね。それはどうしてなんですかね。




んー。女の子にロマンを感じているからやと思います。私、小さい時から女の子の友達が少なかったんです。いや、変な意味やなくて、田舎やったので、女の子の家は遠かった。そやから、近くの男の子とばっかり遊んでいたってだけなんですけど(笑)。そういうこともあって、どこか女の子成分が不足したままオトナになっていったところがありまして。そやから、今はかわいい女の子さえ描ければ満足、という(笑)。




――納得しました。





ようやくプロデビューの話






さて、そういう努力を重ねているうちに、2011年5月に、関西コミティアにスカウトに来ていた『ビッグガンガン』(スクウェアエニックス)の編集者に声をかけられ、デビューに至るということになるわけです。




デビューは、2011年の12月。39歳でした。ずっとずっと、周りには自分より達者な人がたくさんいはるから、太刀打ちできないと思っていたので、なんで私なんやろうと思いました。即売会は、本を買いにきてくださる人がいるから、がんばって描いて本を作ろうと思ってましたけど、それより大きな目標はなかったので。




――初めて原稿を編集部に入れた時に、号泣されたんですってね。主婦、大号泣の巻。
?
そうなんです。ネームコンペに通って、それがデビュー作になることがわかって、原稿を脱稿してデータを送信したあと号泣しました。「なんでこんなもんしか描かれへんねやろう!」とダーダー泣きました。




――がんばって描いたから、ホッと力が抜けて放心したんじゃないですか。




そうやないんですよ。せっかく、誌面に枠を取っていただいてね、こっちは力一杯最善を尽くしたのに、「これだけか、ここまでか、もっとよくできたんちゃうんか」と実力不足を思い知らされたんです。力不足が悔しかった。それで、ダーダー泣いた。39歳の大号泣ですわ(笑)。泣きながら、自分で「その涙、10代で流せや! ナニをやっとんてん!」と自分ツッコミですわ。気づくんが遅いねんなあ(笑)。





漫画家志望者にここだけのアドバイス!!






――このページを今読んでいる人のなかには、漫画家としてデビューしてスピリッツに載りたいと思っている人もいるはずなんです。そういう人に、伝えておくことはありますか。




私は自分の人生、まさか絵を描くことになるとはつゆとも思わなかったので、よくも悪くも一寸先はわからない、としか言いようがないんですね。




――そりゃそうですね(笑)。びっくりですよね。




自分はお絵かきを続ける事を通じて、本来なら出会うことのなかったであろう人や作品、世界と出会えたり、体験ができたり。これまで不思議な縁を繋いできたと思ってます。また、どんなきっかけが自分のすぐ傍でころんと転がってるか誰にも分からないものなので、描きたい人はとにかく描き続ける事が大事なんだろうなと。




――なるほど。




思い返せば、「美大に行きたかったのに、先の就職のことを考えて、ふつうの大学に行ったなあ、あん時に選べなかった道が、いま目の前につながったのかなあ」なんてことも思いますが、まあそれはね、忘れていたことやし。言うときたいのは、使いやすいソフトを使え!ですかね。早く自分に合うソフトに会えることをお祈りいたします。あと一つ言えるのは、私は背中を押してくれる人たちに出会ってきたから、くじけなかったし、折れなかったんやと思います。背中を押してもらえなかったら、やめてましたわ。




――ああ、パソコンうまいこと使えなかったとことか、ヤバかったですもんね(笑)。




そうそう(笑)。だから、応援してくれる人がいることはすごく大事です。ネットで細々とお絵描きを続けてきましたけれど、「あなたの絵が好きだ」と言ってくれる人が出てきてくれたり。長く続けてると、必ずや途中でしんどくなるんです。次もがんばろうと思えないと、途切れてしまうんですね。




――なるほど。




それと、もうひとつ大事なのは、高い志を持つ前に目の前のしめきりに追われろ、そのしめきりを守れ、ですかね。私の場合、目先の事、例えば次のイベントの〆切りを目標に、その都度その都度積み重ねてきたというのがあって、それだからなんとかこれまで継続できた、というのがあるのかなと思います。逆に、プロを目指して、とかですと、目標が高すぎて私はよう果たせなかったかも知れません。




――では、この2013年11月11日、41歳にしてスピリッツ初登場を記念して、これからの夢をお話しください。




変な話なんですけど、これまで描きたいという欲がなかったんですね。今、猛烈に描きたい、描き続けたいという欲が出てきたんです。描くのが楽しくなってきた。それが自分で不思議ですわ。




――(笑) どうなってんねん、その「人生ひとり時間差」は! ......ありがとうございました。これからの活躍を心から応援しております。




jigazou_【るなツー PROFILE】
1972年10月4日、兵庫県出身。チラシの裏に鉛筆でお姫さんや人形を描いている子供で、小6の時には市のコンクールに学校代表で選ばれるほどの腕だった。高校は漫画研究会に所属するも先輩の漫画の墨入れや消しゴムかけなど"アシ的立場"で過ごす。大学以降、漫画や絵には一切関係のない人生を送っていたが、漫画好きだった男性と結婚したことが転機に......あとは、本文をお読みください!




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女子のてにをは 1 るなツー


【初出:コミスン 2013.11.17】

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