2014.10.23
『猫村さん』作者が描く、少女の屈折した心『逢沢りく』/【連載】深読み新刊紹介「読みコミ」(4)
コミックを長く「店頭」からながめてきた視線で選ぶ、
元・まんが専門店主の深読み新刊紹介。
第4回『逢沢りく』上巻・下巻 ほしよりこ(文藝春秋刊)
嘘の涙を自在に流せる美しい少女・逢沢りく。暗に屈折した家庭環境にはじき出されて、大嫌いな関西の親戚の家に預けられることになる...。ヒット作『きょうの猫村さん』で知名度の高い作者の「別冊文藝春秋」連載長編。上下巻同時発売。本文ページと装丁が一体となった秀逸なデザインは、店頭でもこの本の存在感を強く確かなものにしている。本文は鉛筆画。おそらく下絵のプロセスを経ないで描かれただろう画面には、ある種の危うさとスピード感が同居している。ひとつの解釈を強要するようなところはなく、描かれた傍から風が吹けば飛んでいきそうな、見つめ続けたら変形してしまいそうな描線と手書き文字が群れている。そんな繊細さで、固まり始めたばかりの豆腐みたいに不安定な14歳の逢沢りくのナーバスな心情をなぞるようにストーリーは進行していく。それは、ページを閉じてもう一度読んでみたら話が微妙に変わっているのではないかと思うくらい不確かなものに見えたりもする。柔らかで淡い画面のどこにピントが合うか、読み手のコンディション次第で読むたびに違った文脈が浮かびあがってきそうにも思える。そんな危うさとは対照的に、描かれる場面は日常そのものだ。そして会話の中で多用される関西弁が大事な役回りを果たしている。彼女のイライラの原因であり、彼女を包む体温にも思える関西弁が、話に弾力を与えている。
『逢沢りく』上巻・下巻 ほしよりこ(文藝春秋刊)
ちなみに多少乱暴な言い方になるが、新作コミックのラッシュともいえる状況下で、作品タイプやテーマが何であれ、多くの読者に読まれる作品の条件のひとつとして「一冊、引っかかりなくスムーズに読み切れる」ということがあると思う。淀みなく読める理由は、話(メロディ)に「興味」が持て、語り口(リズム)に「同調」できるから。この一方を、もしくは両方を満たしているからだと思う。画が好き、キャラクターが好き、話の展開が好きとか、いろいろな好きがあるが、いわゆる「面白い!」とマンガに没頭できている状態というのは、音楽に例えればメロディとリズムに無心にハマれている状態なのだ。この状態を違う角度から見れば、気になるものが消えてノイズの少ない状態ともいえる。そんな状態をおのずから体現しているこの作品。背景や効果やペン入れのプロセスがなく活字もない分、話のコア、つまり少女の屈折した心の襞の感触をたどるように読み進めていくことが容易になる。それが主人公の傷口にじかに触れるようなナーバスな触感をも想起させる。作者特有の、マンガ制作のプロセスを大胆に省略したダイレクトな手法が、ナーバスなテーマにこれ以上ないくらいにフィットしている。...ラストで号泣する彼女をながめながら、読み始めて読み終えるまでが一瞬だったことにあらためて気付かされる。
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南端利晴(元・まんが専門店主)
【初出:コミスン 2014.10.23】
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