2022.08.26
『アオアシ』プレミアム対談 中村憲剛×小林有吾
かねてより親交のある二人が、あのキャラクターのこと、開幕までいよいよ3か月を切ったW杯のことなどをフルボリュームで語り尽くす!!!!!
※本インタビューは、週刊ビッグコミックスピリッツ39号(8月29日発売、発行/小学館)に掲載されたものを再編集したものとなります。
インタビュー・文●いしかわごう 写真●スタジオ・アウパ ©ケンプランニング
二人の出会い
――お二人は日頃から交流があると聞いていますが、いつぐらいから始まったのでしょうか。
小林「2年前の2020年ですね。憲剛さんが現役引退した年にイラストを描かせていただいたのですが、引き合わせてくれたのは、当時愛媛FCにいた
中村「先生は湯水のように質問が出てくるので、話し甲斐があるんです(笑)。もともと僕自身がアオアシを読んでいたというのもありますが、作品から先生の熱量を感じていたので、賢太郎の話にも『喜んで』と言いました。小林先生はサッカーが大好きで勉強もしているし、リスペクトもすごく感じます。その熱量がアシトたちの躍動に繋がり、読者に伝わってきます。僕の周りでもアニメを含めて親子でアオアシを観てますよという人が本当に多いです」
――小林先生からはどういう質問が多いんですか。
中村「自分が普段はあまり話さないようなことを訊いてくれます。『このプレーはどんなことを考えてやっているんですか?』ということが多いですね。現役時代はあまり訊かれませんから(苦笑)。先生は、そこのリアルな感覚を掴みたくて訊いているのだと思いますが、そこを丁寧に言語化していくと、自分の頭の中が整理される感覚があります。今は育成年代で指導者として選手たちに接することが多いのですが、言語化して整理されたものがそのまま出ることが多いので、引き出しは増えました。つまり、アオアシでインスパイアされたものが、リアルの育成現場にも落とし込まれているということです」
小林「それは嬉しいなぁ。自分は漫画家の中でも取材が好きなほうだと思います。たくさんのプロ選手にお話を伺って、それが作品の力になっています。ただ、憲剛さんの話を聞いた時に、この人の言うことは『答え』だなと思ったんです。見てきたもの、達成してきたものが特別すぎて突き抜けているというか、ほかのサッカー選手とも違うんです。たとえば、一つのプロフェッショナルの考えに対し、それが100%正しいと言えることはないと思います。でも、憲剛さんの話を聞いていたら、これを『答え』としてそのまま描けばいいじゃないかと思ったんです(笑)。言葉が強いですね、そういう意味では」
司馬について
――作品の影響はどうでしょうか。28集から登場する
▲アシトが憧れるほどの「思考力」を持つベテラン選手。
小林「実はトップチーム編はもともとやる予定ではなかったんですよ。ユースの話ですし、そこを描くとユースの話に戻る必要がなくなってしまうので。でも、やっぱりやるべきだなと思って、その時に中村憲剛さんの強烈な影響があったんですね。トップチームのイメージも、強い川崎フロンターレでしたし、だったら憲剛さんのキャラクターをそのまま出せばいいじゃないかって」
中村「アシトがトップチームに練習参加する時に、長くプレーしているレジェンドを出したくて、モデルにしたいと先生が言ってくれたんです。『マジですか? 自分がアシトを教えられる!』と、ものすごくテンションが上がりました(笑)。自分がアシトとつながった感じがして嬉しいです」
小林「読者によっては『憲剛さんかな? ヤットさん(
中村「司馬とヤットさんと僕を並べてくれたコマがあって、うまくまぶしてくれましたよね。僕は普段、コミックスの発売を待つ派なんですよ。でも『今週のスピリッツで中村憲剛が出てるよ』って教えてもらって、これだけは我慢できずに雑誌を買ってしまいました(苦笑)」
▲左から中村憲剛さん、遠藤保仁選手、司馬。
バトンリレー
――小林先生の中で、引退するベテランを描いてみたいという思いもあったのでしょうか。
小林「バトンタッチを描きたかったというのはあります。人から人に受け継がれていくものがあって、それでクラブが発展していく。そこを描かないと、やはりJリーグを紹介していくことにならないと思っていて、そこが一番ですね。描く前はそんなに尺を取らないでやろうと思っていたのですが、読者の反応を見ていると、かなり喜ばれている感触がありました。いいバトンリレーを描けているのかなと思います」
中村「自分が引退したのは一昨年なのですが、読んでいてあの時をリアルに思い出しました。特に司馬がBチームにいるのが生々しかったんです。自分も怪我から復帰した年はAチームとBチームを行ったり来たりしていたので。司馬も怪我していたからというのもあってBチームにいて、そこにちょうどアシトが練習に来る…タイミングもばっちりですよ」
――司馬が自宅で奥様に引退を告げるシーンは印象的です。
中村「そこは完全に自分と重なってますね(笑)。『チーム司馬は、攻撃は司馬で守備は奥様』というのもすごくわかります。なんだろうな…支えているというよりも、一緒に歩んでいるんですよね。海外移籍を断ってエスペリオンで生きると決めた時から覚悟ができていたと奥様が話す姿は泣けますよ」
小林「これからまだ面白くなるんですよ」
中村「えっ? ここからまだ面白くなるんですか! どこまで行くんですか(笑)」
小林「2集分でまとめるはずが、3集分かかっているんです。トレーニングもよい話だなと思いながら描いてますね」
中村「29集収録分までしか読んでいないのですが、濃密な三日間ですよね。その短い中でアシトが話を聞くだけでは終わらせず、言われたことを考えて実践し、また自分の意見をぶつけるところがいい。
小林「憲剛さんの話を聞いて大事だなと思ったのは、意見をぶつけてくる度胸だけではなく、自分なりにやってみたうえで言っているところですね。まず一回は受け入れてやってみる。そのうえでディベートしにくる。それが正しいなと気づきました」
中村「そうなんですよ。こちらが話をして『大丈夫です!』とか『その通りです!』と受け入れ続けるだけの選手だと難しい。こちらのアドバイスが頭に入ってない若手の表情を先生が見事に描いてくれてましたね。『そうそう! この顔なんだよな…』と、言葉が刺さってないあの目は印象的でした(苦笑)」
▲一方 アシトは、司馬から「いい目をしている」と評される。
練習参加のリアル
――中村さんが川崎フロンターレに練習生として参加した状況はどうだったんですか。
中村「僕はJユースの下部組織にいたわけではなくて、大学生としての参加でした。しかも4年生だったので、これが就職活動。二日間で何か爪痕は残さないといけなくて、人生がかかっていました。危機感というか、もう後がないというのはありましたね。初日の練習で選手の特徴などいろんなものを見て、二日目が練習試合だったんです。とにかく自分を知ってもらわないといけないし、いかにして自分の武器をフロンターレで発揮するか。ポジション的にも周りの選手を知らないといけなかったので、頭をフル回転させていました。その練習試合の前に突然、『君、ボランチやれる?』と監督から訊かれて、大学ではずっとトップ下だったんですけど、『やれます!』ってとっさに嘘をついたんですよ(笑)」
小林「えっ、嘘をついたんですか(笑)」
中村「そこでボランチはできませんと言ったら、落とされると思ったので(笑)。結局、それがうまくいって練習試合でチームが5、6点取ったんです。それが当時の監督や強化部にも目が止まって道が繋がったんです。あの二日間は強烈に覚えてますよ。当たってくだけろというぐらい必死でしたね」
――現在のアシトの練習参加ぶりはどう映っていますか。
中村「いいぞ、いいぞと思って読んでいます。高校生でトップチームの練習に入れる。しかも周りのアドバイスを聞いて、積極的に受け入れるところからスタートしている。そこでダメでも、まだ2年はあるわけじゃないですか。焦らなくても、なんとでもなりますよ。でも自分で危機感を作って、トップで爪痕を残そうとする姿は共感できます」
小林「よく考えたら、アシトはまだ高1なんですよね(笑)。それにしては焦っているかもしれません。ただアシトは家族のためにという思いがあります。家族に苦労をかけているので、一刻も早くプロにならないといけない…そこは僕も一緒だったので」
――小林先生はアシトに自分を重ねながら描いている?
小林「それはあるかもしれません。僕も漫画家を目指す時期が遅かったんです。憲剛さんの話とも似ていて、後がない状態で眼に映るものは何でもヒントにしないと人生が終わる…そのぐらいの危機感でした。自分も家族に苦労をかけたので、年齢関係なくプロになるにはどうすればいいのか…そこの部分は自分の心境を重ねながら描いているところもありますね」
二人の推しキャラ
――中村さんの推しキャラは
中村「僕は中盤のポジションだったので、ああいう全体を見れるタイプが一人いると、チームのクオリティーやまとまりが段違いに変わると思っています。一人一人の感情の揺れ動きを察知しながらも組織全体をマネジメントしている…そんなことをしていないようで、大友はちゃんとやってるんです。そこにまた惹かれますね。味方を助けるし、試合中はちゃんとよいところにもいる。評価されにくいのですが、わかっている人からは評価される。指導者だったら、チームに一人は置いておきたいタイプなんです、大友は」
小林「たしかに、評価されにくいタイプかもしれませんね。もともとは、コミカルなツッコミ役の親友がいたほうがいいという注文を編集者から受けたのがきっかけなんです。その時に二人のキャラクターを描いたのですが、それが大友と
中村「どんどん存在感を増してきましたね」
小林「人気もあるんですよ」
中村「大友のプレースタイルを見て、そういう生き残り方があるんだと思う子供達もいるんじゃないかな。あとは、女の子が出てきた時だけ顔が急にカッコよくなる絵も好きなんです(笑)」
小林「大友はモテる奴が大嫌いなんで(笑)」
中村「アシトが青森星蘭戦のスタメンを告げられたあとに、早朝に河辺で二人が話すシーンがありますよね。あそこは大友の真骨頂でしたね。彼もスタメンになるまで成長を遂げていて、みんなにも評価されて決戦に臨む。あのシーンが大好きです」
小林「…よかったな、大友! 憲剛さんが褒めてくれてるぞ!」
▲顔だけでなく、しばしば口調まで変わる。
▲アシトも驚く切り口からチームを見ている大友。
――よく訊かれると思いますが、小林先生の好きなキャラクターは?
小林「なんの面白みもない答えで申し訳ないですけど、アシトです(笑)。今まで描いてきたキャラクターの中で一番わかりやすいんですよね。今まで自分が描いてきた主人公は何を考えているのかわからないキャラクターばかりで、自分も動かしにくいところがありました。でもアシトはすごくいい奴で、思っていることや悩みも全部口に出す。だから、描いていて楽だなというのもあります。アオアシという作品でいろんな道を開いてくれるので、一番はアシトですね」
――今までは栗林のようなタイプを主人公にしていたんですか。
小林「そうですね。描けもしないのに天才を描こうとしていて、そこで自分の首を絞めていました(笑)。実力もない新人が背伸びしていたので、そういう漫画になったと思っています。もっと簡単でいいのにと、今なら思いますね」
中村「コップから水がこぼれる前にそれを察知できないですよ(笑)。ジュニア版の巻末サッカー教室(※12巻に収録 https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098512683)でも話したんですけど、栗林のあれはなんの能力なんですか(笑)」
小林「あはは(笑)。栗林はラスボス感がありますね」
▲ユース入団当初、昇格生たちとわかり合えず悩んだアシトは、自分の気持ちを素直にぶつけることを選ぶ。
▲アシトの1学年上ながら、強烈な「圧」を放つ栗林。
ドラマとして漫画を描く
――小林先生の中で、漫画としての面白さとサッカーのリアリティーを追求する線引きやバランス意識ってどうなんですか
小林「サッカー漫画である前に、まず漫画として面白くなくてはならないと僕は思っています。サッカーを漫画で描くといっても、現実のサッカーのほうが面白いじゃないですか。僕は漫画家なので、やはり漫画を描かないといけない。そこが大前提ですね。漫画としてのサッカーがあって、そこにキャラクターやドラマがあって進行していくという考えです。単にサッカーシーンだけを描いて載せても、漫画としてそれを純粋に読める人が何人いるのかなっていう思いがあります。選手の心理状態を表すのがうまいと憲剛さんはおっしゃってくれたんですが、自分はピッチ上の心理状態を見ているのがものすごく好きなんですよ。戦術どうこうより、そっちのほうが想像力が掻き立てられる。ピッチって人間と人間のぶつかり合いだから、そこに本性が出るし、最高のスポーツだなって思います。そういう意味で、ドラマとして漫画を描くということを一番に考えています」
福田のような指導者になりたい
小林「憲剛さんが母校である東久留米高校サッカー部に教えにいくという動画(https://www.youtube.com/watch?v=r1APIfPJLhs)があるじゃないですか」
中村「行きましたね」
小林「あれを見たら、『これは絶対にうまくなる!』と思いました。熱量もあるし、言葉も巧みでした。あの後輩たちは幸せですね」
中村「あの企画はルヴァンカップのアンバサダーとして受けた仕事だったのですが、依頼されたみなさんも僕があそこまで本気でやるとは思っていなかったかもしれないですね(笑)。母校があまり成績が良くないのは知っていたので、事前に彼らの練習動画を見ていて伝えたいことを整理しておきました。戦術やシステムではなく、まず一人一人が個を磨くことにこだわるところから意識させないとダメだと思ったんです」
小林「見終わった後に気になったのは、憲剛さんの体は一つしかないじゃないですか。あの場で教えられた時間は2時間ぐらい。その後のことをどこまで考えて役割に徹していたのかな、というのが気になっているんです」
中村「あの2時間の中で、何か難しいことをやったわけじゃないんです。僕の最大の目的は彼らの「日常の基準」を変えるきっかけを作ることでした。自分が毎日行かなくても、生徒たちでこちらが提示した基準に向かって、もっとやろうぜ!という空気感を作ってあげたかった。そうなるための基準を彼らに残さないといけないと思ってやっていました。本気で強くなってほしいので」
小林「すごく真剣に聞いていましたよね。あの2時間で変えてやろうというのが彼らにも伝わったのだと思います」
中村「自分が適当だったら選手も適当な姿勢になると思います。あの日は本気で彼らの指導者になった気概で接していました。印象的だったのは僕が話している時の彼らの目の力が凄かったこと。ものすごい集中力でした。アオアシで福田監督が『お前ら、なんでプレー中にベンチを見るんだ?』と言うシーンがあるじゃないですか。でも監督としての引力はあれぐらいが理想なのかなと思っています。それぐらい選手たちから欲してもらえるような存在になりたい。だから僕は福田監督のような引力のある指導者を目指したいです。あの時に指導したのは、特殊なことではなく基本的なことです。パススピードやボールを操ること、体の向きや立ち位置…彼らの頭の中にそういうセンテンスが入っていくように伝えたつもりです。後日、監督に選手たちの様子を尋ねたら、今も目の色を変えてやっていると聞いて嬉しく思います」
小林「適当にやると憲剛さんが面白くないですよね」
中村「そうなんですよ。彼らの変化を見て、自分も楽しみたかった。そうじゃないと、自分が行く意味がないですから」
▲言葉で選手たちを「変化」させていく福田監督。
知らない世界を見せる
――日常の基準を変えるというのは成長のヒントになりそうです。
中村「基準が変わると、やっぱり変わるんです。それは育成年代もそうだし、川崎フロンターレも一緒でした。自分たちで『ボールは止まってます』、『パススピードは速いです』と思っている集団の基準を『いや、それじゃボールが止まってないよ?』とか『そのパススピードは遅いよ?』と指摘してあげて、『ボールが止まるとはこういうこと』、『パススピードが速いというのはこういうこと』と彼らの知らない世界を見せてあげること。あの短い時間でも、ボール回しやゲームで変わってきました。その基準を伝えることが大事ですね」
小林「憲剛さんがそれを言うなら導けますね」
中村「選手としてもJリーグでMVPをいただいて、チームもJリーグで優勝しました。結果がついてきたことで説得力が増しているし、自分も堂々と言えるんです。もちろんサッカー界の進化のスピードは速いので、僕も当時のことだけを伝えるのはすでに時代遅れだと思っています。でも、サッカーは足でボールを扱う以上、そこの技術を突き詰めていくのが本質なのは変わらないと僕は思っています。栗林がヒーローインタビューで『フィジカルという言葉は、テクニックのない人間の言い訳だと思っています』と言うシーンがあるじゃないですか」
小林「ありますね」
中村「そう思っていた自分にとって、あのセリフはしびれましたね。足でボールを操るスポーツなので、やっぱり自分の狙った場所に蹴れるかどうか。そこにこだわりを持つことから目を逸らしてはいけないと思っています。そこから目をそらして、戦術やシステムに傾くことはちょっと違うんじゃないかなという思いもあります。もちろん、そういう戦い方次第で勝つこともあるのがサッカーの面白さなのですが、選手として長くプレーをしたいのなら、技術は突き詰めないといけないんじゃないかと思っています」
二人にとってのW杯
――今年は11月にカタールW杯があります。お二人にとってW杯はどういったものか、聞かせてください。
中村「僕の小さい頃はテレビで観るものでした。86年のW杯のビデオテープを持っていて、マラドーナのプレーを擦り切れるぐらいまで見ましたから。その大会に自分が出場したというのは、不思議なものです。あの時のことは実体験として頭にも体にも残っているのですが、思い出すといまだにフワフワしています(笑)」
小林「僕もサッカーを観るようになったきっかけはW杯ですね。日本が勝つとこんな嬉しいことはないし、それを味わえる特別な大会。憲剛さんが2010年の南アフリカ大会に出た時の話を訊きたいのですが、あのピッチは特別でしたか?」
中村「言い方は難しいんですけど、サッカーはサッカーでした」
小林「…えっ、マジですか!?」
中村「極限まで集中した時はピッチで何をするか、そこしか頭にないんだなと思いました。自分はパラグアイ戦後半途中から出場しましたが、タッチラインをまたいで入る時も、緊張感や不安感は全くなくて、とにかくチームの勝利のことだけを考えて入りました。それこそ高校、大学、Jリーグでやってきたことと何も変わらなかったです」
小林「感慨深いとか感傷に浸る瞬間もなかったんですか?」
中村「ないです、ないです。そもそも南アフリカでは現場がかなりコントロールされていてお祭り感があまりなかったんですよ。試合当日のホテルからスタジアムに行くまでの導線でサポーターが賑わっているのを感じるぐらい。台風の目の中心にいる感じ…無風に近かったですね(笑)」
小林「へぇ―――」
中村「日本にいるほうがW杯の盛り上がりは感じられたかもしれないですね。日本だとニュースやワイドショーでも取り上げられますが、現地では日本の番組が観れないですから」
小林「それも貴重な話ですよね」
中村「一つあるとすれば、勝利後のロッカールームの爆発はとてつもなくすごかったこと。チームみんなで腹をくくって臨み、勝利を目指し全員で戦って掴み取った1勝で、あそこまで劇的に雰囲気が変わるのかと。そこまでのネガティブな雰囲気があの1勝で全部取っ払われてチームが飛躍的に上昇していったあの感覚はサッカー人生でもあの時だけ。そういう意味では、これがW杯なんだと思いましたね」
▲日本代表としては68試合に出場、6得点をあげている。
※写真:撮影/スタジオ・アウパ
まだ達成感はない
――サッカー選手のW杯に出場した達成感にちなんで訊いてみたいのですが、小林先生は自分の作品が大ヒットしていることの実感や達成感はあるんでしょうか?
中村「それは訊いてみたい。今のアオアシ現象を先生はどう捉えているんですか?」
小林「すごく可愛げのないことを言ってしまうと、まだ達成感はないんです。むしろ、こんなもんじゃないよなというのがあります。まだまだ全然足りないな、という思いです。アオアシだけではなくて漫画家のキャリアを考えた時に、まだ自分の想像の範疇のことなのかなと思っています。もちろん、アニメ化が決まったり素晴らしい賞をもらうと、とてもありがたい気持ちになります。だから、自分のやるべきことを積み上げたことが結果になって、『じゃあ、次』という感じなんですよね。自分の想像を超えるようなことが、もっともっと起こればいいと期待しています」
――毎週1話を描きあげることのプレッシャーもないんですか。
小林「もう300話ぐらい描いてきたので、そこには一喜一憂しないです(笑)。それに漫画は描き上げて完成ではなく読者が読んで完成だと思っています。読者の感想を得られて初めて描いてよかったと思えるものなので、1話1話を描き上げての達成感はないですね」
中村「フロンターレの選手が、試合に勝っても負けても一喜一憂しないとか、1試合にどれだけ質を求めるかを追求することと同じかもしれないですね。目指すところがあって、そこに向かって一歩一歩、自分で自分に妥協せずにやり続ける」
小林「だから、無感動なんですよ」
中村「逆に『やったー!』と小林先生に言われたら、アオアシがこれ以上は面白くならないかもしれない(笑)。もっとやらなきゃというのは、もっと面白くなるからですよね。サッカーも満足したら、それ以上は出ないんです。その瞬間は満足しても、次の練習からもっといいプレーができる、もっとやらなきゃと思えるかどうか。そうやって成長していくんですよね。先生の言葉を聞いてホッとしました。アオアシ、まだまだ行きますね(笑)。思えば僕も現役の時には、優勝すると、もう一回優勝したいと思う欲しがりでした。それはサッカー選手だけではなく、どんな職業でも一緒なんですね」
プライドは必要?
小林「選手の成長に関して訊いてみたいのですが、プライドの高さって関係すると思いますか?」
中村「関係あると思います。プライドはあっていいと思いますが、ありすぎるのは邪魔になると思います。たとえば日本代表だと、みんな勉強熱心で、吸収したいという個人事業主の集まりでした。『自分はこうだ!』という芯の部分は持っていていいと思いますが、それでいてしっかりと周りのアドバイスを受け入れ理解できるかどうか。そのアンテナがずば抜けて高い個の集まりが日本代表という場所でしたし、そうではないタイプの選手は淘汰されるし、人としての器が大きくないといられない場所だと僕は7年いて感じました」
小林「そもそも椅子が少ないですからね」
中村「代表にずっといる選手は、パーソナリティーが素晴らしいですし、成長もしていきます。実際に、性格のいい選手が多いですよ。
▲U-18日本代表監督・市村の言葉で迷いを振り切ることができた阿久津。
―-ちなみに中村さんからアシトにアドバイスするとしたら何を伝えますか?
中村「なんだろう…『勉強はしよう』ですね(笑)」
小林「(笑)」
中村「きっとアシトはプロになるのだろうけど、あまりにもサッカーだけになるとちょっと困るかな。たとえば、言語化する作業は本人も少し苦労していますよね。頭を働かせる作業は日常的にやらないといけない。学業に触れて頭を回転させると、そこの引き出しも増えてくるので、そこそこで構わないので、勉強はしっかり励んでほしいかな。サッカー的なところは問題ないですよ。放っといても伸びておく素養があるタイプです」
日本代表へのメッセージ
――最後に。カタールW杯で、日本代表に期待したいところは?
小林「やっぱりW杯って1勝にかかる重みが大きすぎる大会ですよね。勝ったらサッカー人気が上がって子供たちはサッカーを始めて、Jリーグにも人が増える。でも惨敗してしまうと日本が弱いということを4年間は取り戻せずに過ごさなくてはいけない。今の日本代表は川崎フロンターレに所属していた選手が多いですし、ほかの選手よりも土台というか、しっかりしている部分がある気がするんですよね。感覚的なところですが、やってくれると思っています!」
中村「いまだかつてないクラスの強豪国とグループステージで同居してますからね。臆することなく日本の力を出し尽くしても、勝てるかどうかわからない相手ばかり。だからこそ、今持っているものを後悔のないように出し尽くしてほしいと思っています。今、やろうとしていることがどれだけできるのか。そして、どう勝つのか。その、『どう』の部分はこだわってほしい。そこをこだわって戦うことが日本の未来につながると思っています。そして、目標であるベスト8以上に勝ち進んでほしいです!」
中村憲剛プロフィール
元・Jリーガー/日本代表で、現在は日本サッカー協会ロールモデルコーチやテレビ解説、中央大学サッカー部テクニカルアドバイザーなど、幅広く活躍中。
小林有吾プロフィール
愛媛出身。『HOUSE OF BLUE LIGHT』でデビュー。主な作品に『ショート・ピース』『フェルマーの料理』。『アオアシ』で第65回 小学館漫画賞一般向け部門受賞。