2025.05.23
第1回 スペリオール 新人作家 大賞 審査後インタビュー 押見修造氏
――まずは、大賞を受賞した『さとみくん/りゆにおん』(国木田くにお)についてお伺いします。「自分で制御できない恥部・秘部を描くことに長けている」と講評されていましたが、僭越ながら押見先生と近しいものを感じました。
僕は自分自身を作品に投影することが多いのですが、国木田さんの場合は少し違っていて、キャラクターに投影している感じがあるんですよね。そのキャラクターが恥部や秘部をさらしている様を描いていると言いますか、フィルターがかかっている印象がある。自分とはまた別の回路を使って描いている感じがして、それがすごく面白かったです。お互い自己投影的な部分はあると思うのですが、アプローチの仕方が違うからこそより抉ってくるような感覚もあって興味深かったですね。

――作品にご自身を投影することは、時に怖さや不安を伴うものだと思います。
「こんなネガティブなことを描いても誰も読まないんじゃないか」など、色々な理由をつけて描かない方向に行きがちだと思うのですが、自分が思っていることと、人に読まれたときの受け取られ方って結構違かったりするんですよ。だから、一度誰かに読まれる経験をすると「こんなものか」という気持ちになって、道が拓けることもあると思います。僕自身がまさにそうでした。
――そうした作品を読者に楽しんでもらうものにするには、工夫も求められそうです。
そうですね。自分の中にある〝原液〟をそのまま出せたら、作者としては一番すっきりするかもしれない。でも、そのままだと逆に伝わりづらくなってしまう面があると感じていて。どこか強調したり切り捨てたり、あえて加工することで、内面の真実により近づけることもあると思うんです。 例えば『血の轍』では、主人公・静一の母親が従兄弟を突き飛ばして殺人未遂を起こす場面があります。本作は、わりと自分の体験をモチーフにしている部分があるのですが、もちろん現実に母がそんなことをしたわけではありません。ただ、自分の中では「心の底では突き飛ばしたいと思っていたんでしょう?」と言いたい気持ちがあった。であれば、実際には起こっていないことをあえて描くことで、かえって真実味が増し、内面の核心に近づけるのではないかと。もちろん、そう思いながらも加工せず普通に描くというリアリティーもあります。それは人それぞれですね。ただ、漫画にする場合は、ある程度の加工をした方が成功する確率は高いのかなと感じています。
――「最後にもう少し余韻があっても良いのでは」という講評も印象的でした。物語を立ち上げてから結末を描くまで、押見先生はどのように構成を考えているのでしょうか?
『血の轍』の場合だと、まず「母親のことを描きたい」という気持ちがなんとなくあって。ただ、それはまだはっきりと言葉になっていない〝この感じ〟という曖昧なものなんです。自分の中ではわかっているけれど、それをどう伝えればいいのかはすぐには見えてこない。その〝この感じ〟を具体的な物語にするのはどうしたら良いのか、という衝動が最初にあります。
綺麗に言語化してから描く方もいると思うのですが、すべてを言葉にしてしまうと、かえって描く意味が薄れてしまう気がするので、僕はあえて言語化しすぎないようにしています。ですので、最初の1話は何度も描き直しますね。「これは来た!」と思える1話が生まれたときは、自然と物語の先に行ける感じがするんです。実は、最終話を描き終えてから改めて読み返すと「あ、ここに全部描いてあった」なんてことが多いのが1話。理想としては、1話に物語の全てが宿っているようなものができたらと思っているのですが、それがなかなか出てこないんですよね……。
余韻については、短編と長編でまた違うと思いますし、最終的には好みの問題もあるので、一概には言えない部分もあります。ただ、『さとみくん/りゆにおん』に関してはすごく突き放したような終わり方をしていて、個人的にはどこか寂しさを感じました。もう少し読者に寄り添うような余韻があっても良かったのでは、という気持ちがあります。もちろん、それが正解というわけでは決してなく。今後読者さんからの感想が本人の元に届いて、それを目にする中で「あ、これは足したほうがいいかもしれない」「ここは削ったほうがいいな」といった感覚が生まれてくることもあると思うので、それを少しずつ反映していけたら良いのかなと。
――佳作に選ばれた『海の君』(おくやままるか)についてもお伺いします。「絵は抜群です。めちゃくちゃ上手い。鉛筆の使い方がとても良くて嫉妬しました。」と絶賛されていましたが、押見先生はその圧倒的な画力を身につけるまでにどのようなことをされてきたのでしょうか。
デビュー当初は、あまり絵の練習をしてこなかったので画力が低くて……。デッサンの本を買って、途中から基礎的なことを少しずつ学び始めました。基礎を押さえれば 〝それっぽい〟絵は描けるようになるのですが、逆に言えば、それだけだと面白くないと言いますか。見た目は上手くても、それが良い絵かどうかはまた別の話なんです。
それこそ『海の君』の絵は本当に上手いと思いました。絵を専門的に学ばれている方だということが一目でわかるほど、美術の絵として完成度が高い。ただ、漫画の絵となると少し事情が変わってきて色々な要素が入ってくるんですよね。例えば、福本伸行さんの絵は美術的な上手さとはまた違うけれど、漫画としての伝わり方がすごく強い。結局、自分の絵をどう使うのかが大事なのだと思います。逆にいくら絵が上手でも使い方を間違えると、漫画としては機能しなくなってしまう……。このバランスが難しいところなんですけどね。
――押見先生の新人時代についてもお聞かせください。大学在学中に『夢の花園』で「ちばてつや賞」ヤング部門優秀新人賞受賞、ほぼ同時期に「コミック焦燥」にて『真夜中のパラノイアスター』でデビューされています。とても華々しいスタートを切られたように感じられますが、実際はいかがでしたか?
大学では実作がメインの漫画研究会に入っていたので、周りは真面目に漫画を描いていましたが、自分はまったく描けなくて……。それで、4年生の時にようやく描けたのが『真夜中のパラノイアスター』だったんです。そこに至るまでの大学3年間は、何も描けなくて苦しかったですね。何か描こうと試行錯誤はしていましたが、基本的には毎日お酒を飲んで自暴自棄になっていました。
――何がきっかけで描けるようになったのでしょうか。
2年生の途中から大学にも行かなくなってしまったので、このまま卒業もできなそうだし、就職も難しそうだから、漫画でなんとかしないと生きていけないという切迫感。あと、そのタイミングでフラれたっていうのが大きいかもしれないです。フラれた勢いで『真夜中のパラノイアスター』を描きました(笑)。ちょっとしたきっかけだったと思うのですが、それまで自分の中にずっと溜まっていた何かが出せた。それを一番最初に外に出すのが苦しいんですけど、ふっと勢いがつくと出せる。あの時は、ちょうどその勢いに乗れたのかなと思います。
――そういう勢いを掴めない人にアドバイスをするとしたらいかがですか?
「フラれた」みたいに分かりやすくなくとも、みなさん何かしらあると思うんです。これは僕が好きなボブ・ディランのお話なのですが、彼の「When the Ship Comes In(船が入ってくるとき)」という曲は、実はホテルで宿泊を拒否されたときの怒りから生まれたらしいんですよ。だから、宿泊拒否くらいのほんの些細なことでも良い。例えば道端で舌打ちされたとか、誰かに無視されたとか、そういうちょっとした抵抗を見逃さないことが大事なんだと思います。
――最近では、特に押見先生のような作品を描きたいと憧れている新人作家の方が多いと聞きます。そうした声をどのように受け止めていらっしゃいますか?
きっと何かサイクルがあるんでしょうね。僕自身も最初は山本直樹さんの作品を真似するところから始まりました。特に僕の世代は山本直樹さんに憧れている方が多かったように感じます。僕もかつては、憧れの作家を真似る新人のひとりでしたし、例え真似から始まっても、やっぱり誰にでも〝その人にしか描けない部分〟がある。実際に評価されるのも、真似した部分ではなくて、その独自性の部分だったりする。それが自然と残っていって、真似の輪郭が少しずつ薄れていくんじゃないかなと思います。
――長く漫画家として活動を続けられていますが、その原動力はどんなところにあると思いますか?
僕は喋ることに強い苦手意識があるので、漫画を辞めたら自分にはもう表現手段が無くなってしまうと思っているんです。長く続けることが必ずしも良いとは限らないですが、それが怖くて描き続けているところがあります。
あと、最近気づいたのですが、僕は思い出すことが好きなんです。漫画を描くことよりも思い出すことの方が重要で、その結果として漫画を描いている感覚ですね。思い出せるうちは幸せでいられる……。僕にとって、思い出すという行為は一番の娯楽なのですが、漫画に描くと自分から思い出が出ていってしまう。もうだいぶ無くなってきていますね。
――最後に新人作家さんに向けてメッセージをお願いします。
すでに面白い漫画がたくさんあるので、僕自身、自分が何かを描き足す必要なんてあるのかと。遡ればすでに誰かが描いていて、それの焼き直しでもあるのだから、もう沈黙するのが一番正しい道なのではないかと悩んだこともあります。でも、その時代にその人が描いたということ自体に意味があるのだと思うんです。だから、迷っているなら描いた方がいい。僕はそろそろやめるかもしれませんが(笑)。 新人のみなさんにはどんどん描いてほしいですね。
押見修造氏 PROFILE
1981年生まれ、群馬県出身。漫画家。2002年「真夜中のパラノイアスター」でデビュー。代表作に『アバンギャルド夢子』『漂流ネットカフェ』『惡の華』『おかえりアリス』『血の轍』など。
