トップ  >  フランス文学者・鹿島茂さんが見た、リアルタイムの「上田としこ」とは?◆私の『フイチン再見!』第3回 ( 2015/02/23 )
ビッグオリジナル

2015.02.23

フランス文学者・鹿島茂さんが見た、リアルタイムの「上田としこ」とは?◆私の『フイチン再見!』第3回

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村上もとか『フイチン再見!』単行本第4集発売記念・連載インタビュー企画!






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第3回 鹿島茂






フランス文学者・鹿島茂。「超」のつく漫画少年だった氏は、リアル・タイムで『フイチンさん』を読み、好奇心とある疑問を抱いた。そしてそのおよそ50年後??『フイチン再見!』によって、その疑問は氷解する。





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上田としここそ「働くことで自己実現する女」の元祖であることが、見事に解き明かされている。






 上田としこ(トシコ)の漫画『フイチンさん』を手に取った現代の読者は、日本の漫画にはない描線のモダンさに驚いて、いったい、この作者はどんな人なんだろう、日本人なのだろうか、もしかして、これ翻訳漫画? ...などといろいろと疑問を感じるはずだ。ありとあらゆるスタイルの漫画に慣れた現代の読者でもそう思うのだから、『フイチンさん』が『少女クラブ』に連載されていた昭和三十年代にリアル・タイムでこれを目にした私の驚きはいかばりだったか! 「超」のつく漫画少年で、その月に発行される漫画雑誌(注:少年・少女の漫画週刊誌が発行されるのは昭和三十四年から)のすべてに目を通していた私は、『フイチンさん』や『ぼんこちゃん』(「りぼん」)の内容もさることながら、上田としこという作者その人に興味を抱いたが、しかし、その頃には、漫画家本人がマスコミに登場するという習慣はなかったので、結局、その好奇心は満たされぬまま終わって消えてしまった。




 それから幾歳月を経たことだろう。
 『フイチンさん』は何度か再刊され、二〇〇一年には弥生美術館で「倉金章介・上田としこ・今村洋子」展が開催され、徐々にではあれ、上田としこの人となりがわかってきたが、しかし、それでも疑問の多くは解き明かされぬままだった。
 それが、上田としこの生涯を描いた伝記漫画である『フイチン再見!』の登場により、一気に氷解したのである。
 なるほど、上田としこというのはこういう人であったのか!

 まず、満州のハルビン育ちであったことは『フイチンさん』から想像がついたが、正金銀行に勤務していた父親の関係で上田としこ一家が満州事変の始まる一九三一年(昭和六年)よりもはるかに前からハルビンに住んでいたということは初めて知った事実である。一九一七年に麻布笄町に生まれた上田としこは生後四〇日で極東のパリと呼ばれたこのコスモポリタン都市に移住し、そこで成長したのである。




 ハルビンは、土地の一部の自治権を清朝から得たロシア帝国が、東清鉄道の出発駅として、事実上、独力で建設した都市で、このとき、都市計画のもとになったのが、一八六〇年代にナポレオン三世の命を受けたセーヌ県知事オスマンが大改造を施したパリだった。二つの都市の雰囲気が似ているのは当然なのである。
 しかも、本書によれば、「父はどういうわけか日本人が住む街ではなくロシア人やユダヤ人が住んでいる街に住まいを置いたので、幼い頃のわたしは自然とロシア人、ユダヤ人、そして中国人の子と一緒に遊ぶことが多かった」とある。『フイチンさん』のコスモポリタニズムとモダニティの原点はここにあったのだ。
 このように『フイチン再見!』は『フイチンさん』をこよなく愛する読者の好奇心を満たしてくれるエピソードにあふれているが、しかし、本書の読み所はもう一つ別のところにある。それは、女性がパイオニア的に男社会の職業を選ぼうとするときに遭遇するであろうさまざまな困難の切り抜け方が上田としこというサンプルを介して見事に解き明かされているというところだろう。




 たとえば、本書の第三巻では、満鉄(南満州鉄道)で女子社員の待遇を改善させるために上田としこが、大戦という「国難」に当たって「会社と交渉する」のではなく、大戦という「国難」に当たって「会社に協力する」と主張して待遇改善を勝ち取るエピソードが描かれているが、そのとき、男装の麗人風の先輩「小泉フミ」から「けっこう芝居がうまいのね」と言われたのに対し、上田が「いいえ、お芝居じゃありません。漫画です」「これは『漫画の心』なんです!」と答えるところなど、若い女の子が男社会で卑屈にもならず、トンガリすぎて挫折することもなく、自ら定めた目標を達成しつつ自己実現を図る「方法」が開陳されている。たとえ漫画家にならずととも、上田としこなら、どんなことでもできたのではないかと思わせるエピソードではなかろうか?
 上田としここそ、「働くことで自己実現する女」の元祖だったのである。本書の続きが楽しみである。





《プロフィール》
鹿島茂 SHIGERU KASHIMA
1949年生神奈川県横浜市出身。東京大学大学院博士課程修了。現在、明治大学国際日本学部教授。19世紀フランス文学を専門とし、91年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞受賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『パリ風俗』で読売文学賞を受賞。






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日本にまだ、女の漫画家はいなかった。
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(ビッグコミックオリジナル編集部)

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【初出:コミスン 2015.02.23】

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