ビッグオリジナル
2014.06.12
【連載コラム】オリジナル40周年記念『オレとオリジナル』。第3回は小島功が登場!!
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第3回【小島功氏】
《プロフィール》1928年(昭和3年)3月3日、台東区根岸生まれ。戦前からの漫画集団に対抗し1947年独立漫画派を仲間たちと結成、大衆娯楽雑誌の隆盛の中デビュー。後に漫画集団にも参加、全漫画カテゴリを網羅した職能団体の必要性を訴え日本漫画家協会の設立に尽力する。美人画も評価が高い。60?70年代「11PM」のレギュラー出演や黄桜のカッパCMでも有名。第14回文春漫画賞受賞。1956年週刊アサヒ芸能創刊時からの連載『仙人部落』は50年を超える世界最長連載。1990年紫綬褒章、2000年に勲四等旭日小綬章を受章。
「ヒゲとボイン」は「男と女」という意味ですね。
『ヒゲとボイン』の連載開始は、オリジナル創刊年のこと。
その流麗な描線とオトナの味わいは特別な存在感を放ち続けた。
体調不良から現在も連載は休止中だが、大ベテラン85歳の声をお届けする。
──オリジナル40周年記念ということで、ご感想など伺えたらと思います。
小島 続けるってのは大変なこと。大したものだよ。創刊当時からドンとした大きさ厚さで、そのまま続けてきたんだものね、偉いよ。
──先生は戦後間もなくデビューされ、オリジナルが創刊した頃には既に、カートゥーン、大人漫画の人気作家だったわけですね。
小島 コミック誌というのに当時まだ馴染みがなくてね。子供マンガはあったけど、大人向けコミックはみんな模索中でした。さいとう(・たかを)君ぐらいじゃないかな、わかっていたのは。僕はその頃、多くてページ8コマの1ページか2ページ、それより長いのは滅多に描いたことがないのに、2色で3ページという受け持ちでしょ。週10社ぐらい一人で描いてたから、無我夢中でしたよ。
──編集者が10人ぐらいソファに並んでいて酒飲みながら待っていたという話も聞きます。
小島 僕も飲みたいし、お待ちの皆さんも飲んだ方が楽だろうと思って。みんなのんべだったからね。僕も少し、気合いが入る程度に飲みながら、20時間ぐらい次から次へと描いては渡して。あの頃は夜中でも輪転機が動いていたんだから、乱暴な時代ですよ(笑)。
──『ヒゲとボイン』の構想はどのように。
小島 あれは「男と女」って意味ですね。最初にいくつか考えた案のひとつでしたけど、ヒゲを生やした男、というだけで、名前もない、何の仕事をしているかも特定していない。ヘタに考えすぎると行き詰まるから、漠然として、何が生まれるかわからないようにした方が続くんだよ。続いたよね(笑)。
──91年にロックバンドのユニコーンが『ヒゲとボイン』というCDを、ジャケットも先生の絵で出しました。あれはいかがでしたか。
小島 実は、歌はあんまり知らないんですけどね、僕らの世代には馴染みがないから。でも嫌なこっちゃないですよ。ビックリしたね。
──あれで「あのマンガ、子供の頃から気になってた」と思う若い人も多くて。ところで先生、最近体調の方はいかがですか。
小島 連載していた頃もよく入院していたけど、最近は長年の疲れもとれてきた。戦後すぐからずーっと忙しかったからね。
──連載再開というと大変でしょうけど、『ヒゲとボイン』をまた描く、というのは。
小島 そうだね。ゆっくりなら描けるかも知れないな。締め切りがあると辛いけど(笑)。
■次号予告:第4回 北見けんいち氏
<6/20(金)更新予定>
(担当:ビッグコミックオリジナル編集部)
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ビッグコミックオリジナル公式
【初出:コミスン 2014.06.12】
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